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いわんやブログ

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2020年 05月 22日

若かりしいわんやの黒歴史 その5

再び黒歴史シリーズ。

これまで書いた様々な黒歴史の舞台となったブラック企業を、いわんやは結局2年半くらいで
辞めた。短い在職期間だけど、それでも同期で入ったもう一人よりは長持ちしたのだ(笑)。
辞めたのが1984年の夏、25の時だったはず。

その前年、1983年の秋にいわんやは親元を出て一人暮らしを始めたていた。
前回書いたお見合い後に引っ越ししたわけで、転居先は西武池袋線の江古田駅から
徒歩10分、家賃3.7万円、風呂なしの安アパート(トイレはあった)。
若かりしいわんやの黒歴史 その5_c0393255_22145595.jpg
 
独立してアパート暮らし。親元にいる時よりお金が必要になるのにいわんやは会社を辞めた。
ではそのあとどこに転職したのか?

恐ろしいことにどこにも転職しなかったの。
会社勤めせず、フリーで、一人だけで仕事してたんですねー。恐ろしいですねー。どうやって
「食ってた」かというと、まぁある種の絵を描く仕事をしてたんだと思ってほしい。

絵を描く仕事で名を成して有名になってリッチになって・・なんて見通しはもちろん皆無。
別の会社に就職してれば経済的にはまだマシな生活を送れただろうけど、その時はとにかく
「フリーで一人暮らし」ってのをしてみたかったんだよ(笑)。この当時からいわんやは
「しなかったことを後悔するより、してしまったことを後悔する方がナンボかマシ」という
乱暴な信条をすでに持ってたようだ。

絵を描く仕事でわずかな原稿料をかせぐ目星はついていた。それならやっちゃえ!やっちゃえ!
「フリー一人暮らし」のチャンスは今だ。たとえそれが貧乏なものになろうと、自分が老人に
なった時に「ああアレやっといてよかった」と思うはず・・そう考えた。まぁ確かにあれは
本当に気楽で、自由で、貧乏で、でも「やっといてよかった」日々だったと思うよ。

1984年7月に会社を辞めた以上、翌1985年は丸々1年、絵を描く仕事だけで「食った」
わけだけど、その年の年収は翌86年に確定申告したからよく覚えてる。税引き前177万円。
原稿料は1割源泉徴収されるから、実際の“手取り”は約160万円だったことになる。
若かりしいわんやの黒歴史 その5_c0393255_22153844.jpg
 
上に書いたように家賃は3.7万円。12ヶ月で44.4万円だ(滞納なんてしてないぜ)。
160万ー44.4万=115.6万円。12か月をほぼ「月10万円弱」で過ごしたわけだけど、
家賃以外に自由になるおカネが月10万円あれば、一人なら食うには困らないよ。
まぁほとんど「食うだけ」の生活ではあったけどさ。

時は1980年代後半。日本がバブル景気に沸いてる頃で、同年代の若者の多くはバブリーに
「今日はマハラジャ、明日はスキー」みたいな日々を送ってた・・らしいけど、当然ながら
江古田での暮らしはバブルと無縁の貧乏生活。だからいわんやはバブル華やかなりし頃に
遊びたい盛りの独身20代を過ごしたにも関わらず、バブルを体験してないの(笑)。
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こんなイイカゲンでジダラックな20代を過ごしたいわんやだから、いま若い人にエラそうに
何か言う資格なんてないけど、自信をもって言えることが一つだけある。それは・・

「人生は20代で決まる」なんてことはない、ということだ。
“啓発モノ”の本にそんな題名のものがあるみたいだけど、そんなことないって。

人生が20代で決まるなら、23で卒業してまずブラック企業、次に怪しいフリーランスという
救いがたい20代を過ごしたいわんやのその後の人生はボロボロ確定だったはずだ。まぁ
これについては「実際ボロボロになったじゃん」という冷静なご意見もあるだろうが(笑)。

でもね、ジンセイ20代で決まったりするわけないって。
仮にいまアナタが苦しい20代を過ごしてるとしても、そのことで絶望することはない。
この先還暦すぎまで勝負は何十年も続く。その間には転機や分かれ道もたーくさんある。
「オレはもうダメだ」なんて20代で決めつけるべき理由は全然ないのだ。
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この江古田時代は3年半くらい続き、その後いわんやは観念して再びサラリーマンに戻り、
つい先日まで中断なく働き続けた。その後2度転職した時もぜんぜん中断なく、昨日までA社に
出勤してたのが今日からB社に・・って感じだった。転職する時くらい、しばらく働くのを
中断して休みたいという気持ちは当然あったんだけどさ・・。

でも20代に江古田時代という「壮大な中断」を経験したんだから、しゃあねぇって感じで
アキラメはついた。定年のあと1年3か月勤務延長したのだって、江古田で過ごしたあの
自由すぎる3年半の罪滅ぼしと思えば、まぁしゃあねぇ。

ほら、すごいでしょ?
風呂なしアパート、貧乏、万年床・・・ジダラックを絵に描いたような“あの頃”が
その後の労働モチベーションに、ちゃんとなってるんだよ(笑)。

(本日使用の画像はぜんぶ2012年インド出張の時のものざます)
 
 


by tohoiwanya2 | 2020-05-22 00:10 | むかし話 | Comments(2)
Commented by ptaro2009q2 at 2020-05-22 12:27
逞しく過ごされた20代に感服いたしました!
私も学生時代に2年間江古田に住んでおりました(70年代中半)。
近くに三波春夫の大豪邸…。
Commented by tohoiwanya2 at 2020-05-22 14:22
>学生時代に2年間江古田に住んでおりました

多分駄文のオジサンさん:
おお、そうですか。あの辺は学生が多くて安いアパートたくさんありますからねぇ。
どの辺だろうと思ってちょっと調べましたが、おそらく住所でいうと中野区ですね?
私は線路の北側で、住所では練馬区。江古田には「愛情ラーメン」とか
ものすごく安い食い物屋がけっこうあって有り難かったです。


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