2021年 07月 11日
明暦の大火、続けるぞ。 回向院からフラフラ歩いて両国橋を渡るとそこは浅草橋。 ここは明暦の大火の時、それこそ本所被服廠跡並みの超大被害があったところなんだよね。 浅草御門とか浅草見附とかいろんな呼ばれ方をするけどこの記事では下の古地図に従って 浅草橋門と書くことにする(画像は古地図 with MapFan のもの)。 浅草橋門って現在の浅草橋交差点のあたり。神田川の南岸だな。一つ下流の橋が柳橋で その先は隅田川。つまり北と東が川にふさがれたカドッコ地形なわけ。ここで起きた 大惨事にはこの先にある小伝馬町の牢屋敷がからむ。位置関係はこう。「囚獄」って 書かれてるのが牢屋敷。隣接して石出帯刀という家がある。 この石出家って牢奉行、いわば小伝馬町刑務所長を代々つとめた家らしい。 明暦の大火でこの辺に猛火が迫ってきて、このままじゃ囚人が焼け死ぬとなった時、 刑務所長の石出帯刀は独断で「切り放し」、すなわち緊急一時全員釈放を断行した。 「火事から逃げおおせたら必ず戻って来い。そうすればワシが掛け合って必ず減刑する。 その代わり逃げようもんなら地獄の果てまで追跡すっからな」といった趣旨の感動的な スピーチを一席ブッて囚人を逃がした。囚人たちはすごく感謝したそうだよ。 ここで地理関係が問題になる。火元は本郷だから小伝馬町からみれば火は西から迫ってきた のは間違いない。当然囚人たちは東方向に逃げるはずで(一説には石出から指示された 集合場所が浅草にあるお寺だったともいわれる)、神田川を越えて北に行こうとしたはずだ。 明暦の大火当時は下の地図のような両国橋もなかったから浅草橋門を越えて北に行くのが 考えうる唯一の逃げ道。 ところがだ。「切り放し」の件が浅草橋門の門番にキチンと伝わらなかったらしいんだな。 「牢屋敷の囚人が集団脱走した」ってことになってしまった。こりゃ大変だっていうんで 門番は浅草橋門を閉めちゃう。こうなると浅草橋を渡って神田川の北に逃げようとしてた 何万人もの一般町民たちまで閉じ込められてしまう。 塀をよじ登って神田川に飛び降りて石垣にぶつかって粉砕死する者、うまく川に降りても あとから来る人につぶされて圧死・溺死する者、塀をよじ登れない者は逃げまどってる うちに門自体が焼け崩れて焼死。浅草橋門周辺で約2万人が死んだらしい。何ということか。 (下の画像はWikipedia。浅草橋門の悲惨すぎる絵)下の写真が今の浅草橋交差点。右ナナメ方向に進むのが江戸通りで、まっすぐ行くと 小伝馬町、そしてかつての牢屋敷っていう位置関係になる。 この石出帯刀の独断による切り放しの措置は幕府から評価され、大きな前例として残り、 現在の刑事収容施設法にも「災害時の避難及び解放」として定められてるんだってねー。 さて、火事で緊急釈放された囚人たちはどうしたか? 「全員戻ってきた説」もあるようだし、「ごく少数を除いて全員戻ってきた説」もある。 とにかく感謝した囚人たちが義理堅くほとんど戻ってきたことは間違いないらしい。 ただ、いわんやとしてはちょっと疑問が残る。 下の地図左下の十思公園っていうのが牢屋敷のあった場所。囚人たちはここから 浅草橋門に向かって逃げたんだろうと推測される。 その浅草橋門が閉められちゃったもんで多くの人間が死んだとなれば、その死者の中に 不運な囚人も混じってるはずだ。しかし史料では「全員(ないしほとんど全員)が 戻ってきた」ことになって、浅草橋門で焼け死んだ囚人がいたという話は書かれてない。 しかし2万からの人間が焼け死んだ場所で囚人たちだけ全員助かるってホントか? 囚人たちが浅草橋門とは別の方向に、たとえば今の人形町から浜町方向に逃げ、 新大橋をわたって助かった・・っていうなら話はわかるけどその辺の詳細は不明。 とにかく解放された囚人に死者が出たという話は調べた限りではないのだ。 そんな(囚人たちにとっては)幸運ってあるかねぇ?下の写真が隅田川に注ぐ 神田川の河口であり、浅草橋の現在のカドッコの姿。 浅草橋のたもとには浅草見附跡の石碑がある。ところがだ、これがまた不思議なことに なぜか川の北側にあるんだよ。上の古地図を見てわかるように浅草橋門(見附)は神田川の 南側。なぜ石碑を北に置いたのだ? 現在、浅草橋は神田川をはさんで北が台東区、南が中央区の領地だ(領地って・・・)。 浅草見附があったのは南の中央区ガワ。しかし台東区が出し抜いて先に石碑を建てて しまった・・ってことじゃないかと想像するんだけど、間違ってたらゴメン。 というわけでこの日の明暦の大火めぐりはここまで。あーハラ減った。何か食おう。 浅草橋から秋葉原まで高架線ワキを歩いてたら神田勤務時代時々来た中華屋を発見。 久しぶりに入った店でワンタンメンと小盛りチャーハンのセット食ったら、すげー 腹いっぱいになっちゃいました。トシとったのうワシも・・。
by tohoiwanya2
| 2021-07-11 00:03
| さんぽ 2021
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