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いわんやブログ

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2020年 08月 16日

灼熱の墓参り

火あぶり地獄のように暑い8月のお盆。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
いわんやは熱中症の危険を冒しつつ、今年もお墓参り行ってきましたですよ。
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もちろん高齢のオフクロには行かせられない。7月の「東京のお盆」の時と同様いわんや単独墓参。
オフクロはなぜか、東京のお盆と8月のお盆の両方お墓参りの心配をするもんで、ここ数年ずっと夏は
いわんや単独墓参だけど、オレだってもう還暦過ぎ。熱中症が心配な高齢者なんだけど・・(笑)。

まぁいい。今回は今年はじめに亡くなった叔母の初盆ってことになる。キュウリやナスで
馬作るようなキチンとしたお盆はやらないけど、7月と8月両方墓参りしたってバチは
当たらないだろ。せっかくだからブログネタ獲得も兼ねてカメラを持って谷中霊園へ。

この日は地獄のように暑かったから車で墓参に来た人が多かったようで、日暮里駅から徒歩で霊園に
行く人は極めて少ない。徒歩組の人は日暮里駅南口から出てこの階段を登るのが便利。
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この階段・・というか坂は名前がついているということを初めて知った。紅葉坂だって。
しかし命名の由来は不明。秋にココ来たこともあると思うけど、そんなに紅葉キレイだったかなぁ?
カメラを持ってきょろきょろしながら歩いてると、普段見逃してるこういう案内板にも気づく。
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紅葉坂をあがるとすぐ天王寺がある。元々、この谷中霊園って上野の寛永寺とか天王寺とかの
寺の所有地だったのが明治になって政府の持ち物になり、今は都営の霊園。だから今でもあちこち
徳川家・寛永寺の土地や天王寺の敷地が残ってる。だから都営霊園としての規模は前にご紹介した
多磨霊園なんかに比べるとグッと小さい。
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まぁ小さい霊園だから徒歩で行ける、ともいえる。多磨霊園だったら車か自転車がなきゃ、
こんな暑い日の墓参りは難しいよ。谷中霊園の桜並木も日傘をさして木陰を歩く人がいる程度で
人通りは少なかったねー。あの暑さじゃねぇ・・・。
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この日は花屋さんからシキビと線香を買って桶と柄杓を借りる「本格」じゃなく、持参した線香と
自販機で買った水で済ませる「略式」。この時期、いわんやは略式でいいから墓参回数を増やして、
セッセとお墓の雑草を抜くことに注力する。汗ダラダラ流しながら雑草を引っこ抜くいわんやを
鳩も応援してくれました(笑)。
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で、自販機で買ったペットボトルの水をかけるんだけど、最後に一口残しておいて自分で飲むことに
している。これは脱水症状防止のためで、そのくらいオヤジも許してくれるだろ(笑)。
暑い時期の略式墓参りも近年はだいぶ慣れてきた。

実はこのあと寄り道をするんだけど、ソコは省略。寄り道のあとにまた谷中霊園を突っ切って、
帰りは芋坂の方から日暮里に戻ろう。谷中霊園のキワからはJRに加え京成の線路もよく見えて、
ガキの頃、親に連れられてお墓参りに来ると、帰路いつもこのあたりで「でんしゃみるぅ~」って
ダダこねたもんだった。
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芋坂って江戸時代からあったようで、谷中の丘の上から日暮里の低地に降りる坂。
今はその坂がJRの線路で切り崩さて、坂も跨線橋になっちゃったから本来の坂は途中で切れた
形になっちゃってるわけだけど、それでもこっちにもこんな案内板が残ってる。
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紅葉坂に比べると芋坂って名前が田舎臭いけど(笑)、実際この辺は芋畑が多かったらしい。
案内板にもあるように、この芋坂を下ると名物の羽二重団子屋があると書かれてる。

その羽二重団子の店って今でもある。立派なビルの1階で、ここを通るたびに「立派な店だなぁ」と
思ってたけど「根岸芋坂 羽二重団子」といやぁ文政年間の昔からここで店を出してる由緒正しき
名店らしい。知らずにいたいわんやが無知だったようだ。失礼致しやした。
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途中の寄り道はなかなか素敵なところだったので、後日の記事で詳しく。それにしてもとにかく
暑い日だったよ。今日もええ塩がいっぱいとれた・・・・。
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炎熱地獄墓参りのついでに製塩業にも精を出してきたいわんやでありました(笑)。
 
 


# by tohoiwanya2 | 2020-08-16 00:04 | さんぽ 2020 | Comments(2)
2020年 08月 14日

アジア出張・四都物語【北京奮闘編】

いわんやが北京飯店という、北京でも最も伝統ある一流ホテルに泊まったのは理由がある。
勤め先である例の怪しい会社の中国関連法人が北京飯店の別棟にあったからだ。東京でいえば
インペリアル・タワーにある会社に顔出すから帝国ホテルに泊まったようなもんで、中国法人の
代表が北京飯店とコネがあったらしい。部屋の予約も中国法人がやってくれた。

従って、出張初日の朝はまず同じホテルの別棟にあるその会社に行くことから始まる。
ここの代表って東京の妖しい会社本社で勤務経験のある日本語の上手な中国人で、ここでは仮に
テイさんとしておこう。テイさんとは怪しい会社でもわりと仲が良かったんだよね。だもんで
いわんやが北京に来ると知って張り切ってサポートしてくれた。とても有難かったよ。
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【仕事はサクサク】
その会社はいわば「日中合弁会社」みたいな感じだから、日本語が話せる社員は何人かいたけど、
その中で「いわんやさん用通訳」としてつけてもらったのが中国東北部出身の女性だった。

話すと日本語はホントに流暢。てっきり日本滞在あるいは留学経験あるのかと思って聞いてみたら、
全く訪日経験なし。純粋に「勉強」だけで上達したっていうからタマゲた。仕事もすごくマジメで
電話ヒアリングがどんどんはかどって予定より早く終わり、日程が余ったくらい。素晴らしい。
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【ポストイット大活躍】
しかし電話ヒアリングだけじゃ仕事は終わらない。現地で訪問面談もしなきゃ。
一度タクシーに乗って北京にある日系企業の日本人に話を聞きに行った。当然通訳はいらないから
いわんや一人だけで行ったわけだ。

行くべきビルの名前は「〇〇ワールドセンター」。これを中国語で書くと「〇〇世界中心」。
これを運転手に中国語で、口頭で伝える自信なんてないから、ポストイットに〇〇世界中心と書いて
ドライバーに見せると、ふむふむって感じで連れてってくれる。

さて降りる時だ。仕事で使ったタクシー代だから帰国後に清算するために領収書がいる。
領収書って中国語では「収据」って書くらしい。発音はわからない。再びポストイットの活躍場面。
収据って書いてドライバーに見せると、彼は大笑いして何か言って、ちゃんと領収書をくれた。

状況から考えて「あっははは!オマエ、いちいちこのちっちゃい紙に字ぃ書いてるのか?」って
言ってたのは間違いない(笑)。「書けば何とかなる」中国ではポストイット使うんじゃないかと
思ってたけど、タクシー乗る時なんかは不可欠のコミュニケーションツールだね、あれは。
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【みんなと宴会】
たしか到着した翌々日あたりの夜、テイさんがいわんやの歓迎会を全員でやってくれた。
自己紹介くらい中国語で言わなきゃカッコ悪いから通訳さんに教えてもらってドロナワ練習ですよ。

わんしゃんはお うぉすぃ いぇんぐうじゅんつ(=今晩は、私はイェングウジュンツです)」

そこから先は主に英語で会話しました(笑)。しかしこれがまた大変。
向こうは「あなたの英語は聞き取りづらい」って言うんだけど、一方こっちもまた中国人社員の
英語がすげーわかりづらい。

「あなたのBlood Tapeは?」って聞かれた。ブラッド・テープ=血のテープ?ナニそれ?
何か先祖からの血統とか、そういうことだろうか?トンとわからず10分間くらい会話が停滞した。
あ!!もしかしてBlood Type=血液型って言ってたの?それならソウ言ってヨ、もう~~~。
ジャパニングリッシュとチャイニングリッシュの溝は深いのである。

でもあの歓迎会は楽しかった。海外出張で現地駐在関係者とメシを食うっていうのはバンコクでも
所長とタイスキ食ったし、後年の欧州やインド出張なんかでも経験した。でもこんな大人数で
ワイワイ楽しく歓迎会やってもらったのは後にも先にもこの時だけ。

調べてみたら怪しい会社の北京法人は今でもちゃんと存在してる。
代表者名がわかんないけど、今もテイさんじゃないのかなぁ?いわんやより年長だったから、
たぶんもう60代後半だろう。基本的には孤独で、せいぜい通訳さんと一緒に仕事するくらいって
ことが多い海外出張で、あの歓迎会はいい思い出です。テイさんありがとう。

 


# by tohoiwanya2 | 2020-08-14 00:05 | 海外あれこれ | Comments(0)
2020年 08月 12日

アジア出張・四都物語【北京到着編】

のどかな東京散歩は長く続かない。24年前の海外出張は容赦なく迫ってくる(笑)。

何しろあの時はジャカルタ⇒バンコクと2週間回って帰国、東京のオフィスで5日間
後半2都市の出張準備に明け暮れたと思ったら週末には再び出発だ。若いからヤレたが
今だったら絶対死んでた。10月中旬、国慶節が終わった直後の北京から四都物語の
後半の「二都」の幕が開くのである。
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【大連で乗り換え】
確かJALだったと思うけど、なぜか北京直行便ではなく大連経由。
今は知らないけど、この当時中国に入るにはビザが必要。もちろん代理店に頼んで取ったけど、
入国審査も降機地の北京ではなく経由地の大連でやるという、ちょっと変わった形式だった。

でも大連空港のことは印象深く覚えてるよ。何せ「初チャイナ」だし。
着いたのはもう夜だったけど、空港の窓から大連市街のネオンが遠くに見えてねぇ、すごく
神秘的に思えた。そういや大連もスラバヤ通りとともにユーミンの歌になってたねぇ・・。

聞くところでは大連って、満州国時代の日本文化はもとよりロシア文化の影響もホノカに残る
情緒あるところいらしい。いつか行ってみたいなぁ。いわんやが中国で初めて歩いた街は
北京だけど、初めて(遠くからだけど)見た街は大連なのだ。

【中国語で言ってみる】
大連に着いた時点ですでに夜だったから、北京空港に着いたのはもう夜の9時頃じゃなかったかな。
10月じゃもう真っ暗だ、初めての街に夜の到着って何度やってもイヤなもんだよね。ホテルまでの
移動はタクシー以外ありえん。ドライバーに中国語で言った。

べい じん ほゎん でぃえん

この発音だけは事前に入念に覚えた。「北京飯店」の北京語読み(のはず)。
北京飯店といやぁ、東京でいえば帝国ホテルみたいな、伝統ある有名ホテル。でもニワカ中国語の
発音だけじゃ不安だったのでポストイットに漢字で「北京飯店」と書いて見せからタクシーは
ちゃんと北京飯店に着いたけど、ドライバーがいわんやが発した中国語か、それとも書いた字か、
どっちで行き先を判断したのかは不明(笑)。

【中国語で言ってもらう】
北京飯店に着いて、フロントでチェックイン。当然自分の名前を書くわけだけど、他の国ならいざ知らず
ここは中国だ。漢字で書くべきだよな。当然のことながら漢字の署名は問題なく受理された。

そこで突発的に興味が湧いたので、フロントの中国人青年に「この字、中国語で何て発音するの?」と
英語で聞いてみた。

いぇん ぐう じゅん つ

この後、現在に至るまで、中国や台湾の人に会うたびに「ボクの名前はね・・」ってこれを言うけど、
一度で字をわかってもらえたタメシはない。でも漢字を示すと「ああ、イェングウジュンツ!」って
わかってもらえるね。最後の「つ」の発音が特に難しくて必ずダメ出し・矯正される(笑)。

【夜の北京】
北京飯店は北京のホントに中央部にある。いわんやの部屋は確か7階か8階くらいの、大通りに面した
部屋で、さっそくベランダから外を見てみた。位置的にたぶんあの辺に・・・うわぁーーー見える。
あれ、たぶん天安門広場だ。ってことは、その向こうにあるのが人民大会堂か?
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これまでジャカルタやバンコクじゃドコでナニ見たって初めて見るモノばっかりだったけど、
北京の天安門広場はさすがに知ってる。その実物をオレは今見てるんだぁ・・。ちょっと感動。

【朝の北京】
到着は日曜の夜だったから翌日朝からさっそく仕事。例によって海外第一夜は早く目が覚め、
テラスから下を眺めてみた。うわー・・自転車がいっぱい。
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今はすっかり様変わりしたらしいけど、24年前の中国っつうたら自転車の多さで知られてた。
実際、朝の街路はどこも通勤の自転車の川。いやーちうごく来たんだ・・再びちょっと感動。

夜の到着だと、無事移動するだけでやれやれって感じだけど、朝の北京風景を見て、ようやく
「我、いま北京に在り」という気分になってきた。さてそれじゃ仕事おっ始めるか。こうして
四都物語の「三都め」の仕事がスタートするわけでござんすよ。

 


# by tohoiwanya2 | 2020-08-12 00:14 | 海外あれこれ | Comments(0)
2020年 08月 10日

東京・小さな旅【待乳山聖天】

さて、バンコク出張バナシも大体終わったところで、ガラッと気分を変えよう。
どうせ東京はコロナ感染者激増でGo To キャンペーンからも除外されてるし、せいぜい
都内観光してやろうじゃねぇか、というわけで都内散歩ネタ。もっとも行ったのはだいぶ前、
7月の話なんだけどね。

行った先は浅草の北。浅草駅から隅田川沿いに10分くらい北上すると今日の標題の場所がある。
この地名、知らないとちょっと読めないよね?「まつちやましょうでん」と読むのである。
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「崇徳院」っていう落語の中で上野の清水さんから見た風景を描写するところがある。
「あそこは眺めがいいんだ。向ヶ岡、湯島の天神、神田明神、こっちの方には待乳山聖天の森・・」
みたいに言うところがある。噺家が江戸弁で言うと「まっちやま」に聞こえる。古典落語には
よく出てくる地名で「文七元結」なんかでも出てきたんじゃなかったかな? 

でもこれは江戸時代の地名で、今はそんな場所ないんだろうとずっと思ってた。しかし数年前に仕事で
浅草の北の方を歩いてたら「待乳山聖天 この先⇒」みたいな看板を見てびっくり。今でもあるんだ!
「まっちやま」ってどういう字を書くのかもその時初めて知った。聖天ってことは神社仏閣のタグイ?
一度行ってみたいな・・・と思ってた場所に今回初めて足を伸ばしたわけ。
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石段があって少し小高い丘になってる。まぁ今じゃ回りがビルやマンションだらけで、ちっとも高さを
感じさせないけど、昔の待乳山聖天といえば浮世絵にも描かれた江戸名所だったようだ。このくらいの
小高い山でも高い建物のない江戸時代なら遠くからでもよく見えただろう。
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ここに祀られているのは文字通り「聖天さま」・・うーん・・あんまり聞いたことない。
その故事来歴はといえば「十一面観世音菩薩が悲愍の眼を開き、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)の
姿となってこの山に降臨され・・」ということらしい(待乳山聖天のサイトから引用)。

近くの浅草寺にかき消されてか、あんまり有名じゃないけど、隠れたパワースポットとして人気らしい。
面白いのはそのビジュアル・シンボルで「お稲荷様=キツネ」みたいに待乳山聖天を象徴する強力な
シンボルが2つある。それが何かというと・・・

       大根と・・・・
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     ・・・・巾着袋。この二つがご利益のシンボル。
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だから境内を見渡してるとあちこちに大根と巾着袋がある。これなんて文政年間に新吉原が奉納した
ものだから、ドえらく古い。
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こっちは両方いっぺんに。とにかく巾着袋と、二股大根が合体?したビジュアルが
境内のあちこちにある。
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それどころか、本堂の中には本物の大根がヤマと積まれてるじゃん。ひぇー。
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江戸時代はここから相当遠くまで見渡せたんだろうけど、今はこんな感じ。それでも周囲よりはかなり
高くなってることがわかる。
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お参りを済ませて階段を降りると、そこにもう一つ「おっ」と思わせるものがある。それはこれ。
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なーんと、鬼平犯科帳や剣客商売で知られた池波正太郎はこの辺で生まれたんだ。
今はないけど、「聖天町」っていうところで生まれたとされる。そう言われると
剣客商売や仕掛人梅安にはこの辺がよく出て来る。

大治郎の道場は待乳山聖天からさらに北の橋場、船宿・不二楼があったのもたぶん
この辺の隅田川沿いのはず。「梅安」の彦次郎さんが住んでたのは確か浅草近辺だった。
池波正太郎にしてみりゃ勝手知ったる生まれ故郷(の江戸時代)を舞台に小説書いたわけだ。

再びスカイツリーを見ながら浅草駅へ。この待乳山に行った日は梅雨明け前だったけど
ものすげぇ暑い日で、駅まで歩くだけでもう汗ダクダク。しかし腹が減った。
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そこで銀座線浅草駅に直結した、やたら古めかしい地下食堂街へ。前を通ったことは何度かあるけど
ここも一度行ってみたいと思ってたの。コロナで人出が減って多くの店がお休みしてたけど、そば屋が
開いてた。外人観光客向けにこんな英語の看板作ってるくらいだから、半年前までは外国人たちが
もの珍しそうにそばやうどん食ってたんだろうなぁ。
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イカ天そば食ってさらに汗ダクダクになって帰って来た、浅草ちょいの間観光でございました。

 


# by tohoiwanya2 | 2020-08-10 00:08 | さんぽ 2020 | Comments(2)
2020年 08月 08日

アジア出張・四都物語【バンコク解脱編】

妖しい会社のバンコク出張所はその当時、所長と若い女性社員の二人体制。
そのオフィスにいわんやが出張で1週間来て、机や電話を借りたり、女性社員を通訳として
手伝ってもらったりしてたわけ。

その所長は日本での仕事があったらしくて週の途中で一時帰国した。木・金の二日間は彼女と
いわんやだけになったわけだけど、彼女にすれば「うるさい上司がいなくなった」状態。
所長の不在で彼女の「ラクしたい志向」がいよいよ強力に発揮されてきた(笑)。
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【尻切れトンボ】
前に書いた「通訳ナシの訪問面談」もこの時のこと。「他にこの仕事があるので」と言われりゃ、
単なる出張者のいわんやには「ダメだ」なんて言えっこない。

金曜日。バンコク業務の最終日が最後だ。頑張ってなんとか遅れを取り戻して目鼻つけないと。
ところが当日朝になると例の女子社員が「今日は午前中で早退します」と言い出すではないか。
えええ?!そ、それ、所長に了解とってるのかよ?単なるサボリじゃねぇだろうな?

しかも早退するからオフィスにカギをかけると言い出すではないか。えええ?ここにいられないの?
最後の追い込みをかけるべき金曜の仕事が午前中だけでチョン・・。もちろん女子社員はいわんやの
事情にはお構いなし。参ったね。そんなコンナでバンコクの出張成果はジャカルタに比べるとイマイチ。

お昼でオフィスを追い出され、女子社員と別れたいわんやはホテルに戻り、少し仕事を続けた。
しかしなんかヤル気でなくてねぇ。裏の空き地じゃタイの若者がセパタクローやってたよ。
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いいや、もう。出張成果の少なさは日本に戻ってからゴマかそう。明日の朝には空港行って帰国。
実質的にバンコク最終日なんだから今日は外に出て遊ぼう。仕事嫌いの性質だけは若い頃から
色濃く持っていたいわんやらしい、いさぎよい決断(笑)。

【ジム・トンプソンでおかいもの】

といってもタクシー乗ってどこか遠出するアテもないから近場だ。スリウォン通りをぷらぷら歩く。
まだ明るい昼間だからポン引きが寄ってこないのは結構だけど、ドコ行こうかなぁ・・・。

そこで初めて入ったのがジム・トンプソンの本店だった。当時はジム・トンプソンっていうのが
タイシルクで最も有名ブランドであることも知らなかったんだけどね。初バンコク記念にネクタイを
2本買った。値段は覚えてないけど、貧乏性のいわんやが「高い」とは思わなかったんだから、
当時は相当安かったんだろうと思われる。

あれは四都物語の前半の唯一の記念品になったな。ジャカルタじゃ何も買わなかったし・・。
このネクタイ、その後ずいぶん使って、最終的に結び目部分がスリ切れました。
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【足マッサージで大腸覚醒】
ネクタイ買ってもまだ時間はある。さて何しようか・・というので足マッサージにトライしてみた。
全身の古式マッサージはやってみたけど、足ツボマッサージはまだやってない。そこで、例の
パッポン通りそばの健全マッサージ屋集積地のお店で、1時間やってもらった。

すげーー痛かったね。全身古式マッサージが「痛い4:気持ちいい6」くらいだとすれば、この時の
足マッサージは「痛い7:気持ちいい3」くらいだった。特に先が丸まった棒(これは多くの足マッサ
施術者が用いる)の先で足をグリグリやられると、痛みで顔が歪むのを抑えられない。

終わってみて驚いたことが二つある。すげー痛い思いをした足マッサージが終わり、靴下はいて
玄関で靴を履いたら、明らかに靴がキツい。つまりツボをあまりにもグリグリされすぎたもんで
足裏が少し腫れあがってるわけよ。たまげたね。

さらに驚いたこと。靴はいてスリウォン通りを歩いてたら、急速かつ劇的にトイレ行きたくなった。
もっとハッキリいえば爆発的な便意に襲われたのだ。もはやバンコク街歩きとかナンとか言ってる
場合じゃない。1秒でも早くホテルの、自室の、トイレに戻らなければ。

なるべく下半身に衝撃を加えないように、しかし相当の早足でホテルに戻った。
「大腸にこんな劇的変化があるなんて、足ツボマッサージってすげぇ」と、思ったさ。
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この1回だけの事実から導き出される結論はこうなる。
足マッサージで、施術後に足が腫れあがって靴がキツく思えるくらい強烈にツボを刺激されると、
大腸活動は劇的に覚醒し、活性化する。

だが、その後タイでは数えきれないくらい足マッサージしてもらったけど、足が腫れあがるほど
ツボをグリグリされたことはない。従って、施術後にスーパー便意を感じたこともない。要するに
同じ条件で同じ結果になるかどうかの“追試”がなされていないわけ。

まぁ追試したいとも思わないけどね。近くにトイレなかったら大変だし。
でも便秘でお悩みに方なんかは一度試されてみてはいかがかと・・・(笑)。

 


# by tohoiwanya2 | 2020-08-08 00:02 | 海外あれこれ | Comments(2)