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いわんやブログ

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2020年 05月 24日

府中市・小さな旅【多摩霊園編2】

黒歴史から一転、再び家にいよう。せめて散歩に出かけようシリーズ。
サイクリング&お墓参り&ブログネタ発掘を兼ねて、また多磨霊園に行った。

義父&義母のお墓詣りを済ませ、さて、今日は誰のお墓を見学しようか?
霊園案内図の裏には著名人のお墓があいうえお順で書かれてて、一番最初「あ」の箇所を
見ると、二行目に「お?」と思う人の名前があった。それは浅沼稲次郎だ。
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浅沼稲次郎は昔の社会党書記長で、1960年、いわんやが1歳の時に亡くなってるからむろん
ご当人のことは全然知らない。なのに浅沼稲次郎のお墓があると知ると見学したくなるのは
沢木耕太郎の名著「テロルの決算」を読んでるからに他ならない。

浅沼は政治家としても人望のある人だったけど、最後の暗殺事件が一番有名になってしまった。
総選挙を控えた日比谷公会堂の3党首立会演説会だから多くの聴衆の目の前だったのに加え
TV中継までされてた。そこで殺されたわけだから日本の政治史においてはもちろんだけど、
報道史という観点からも歴史的大事件だったのだ。

下の写真も日本報道史に残る。日本人が撮った報道写真で初めてピューリッツァー賞を受賞。
沢木耕太郎は「まるで舞台写真のように鮮明に・・」って書いてたはずだけど、まったく
その通りで、鮮明すぎる決定的瞬間。
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刺殺事件からしばらくたって、国会で浅沼稲次郎の追悼演説があった。
演説者は政敵でもある自民党の池田勇人だけど、浅沼の友人が詠んだこんな一説を引用し、
党派を超えた感動を呼んだとされる。

   沼は演説百姓よ     よごれた服にボロカバン
   きょうは本所の公会堂  あすは京都の辻の寺

   
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これらはぜーんぶ沢木耕太郎の名著「テロルの決算」で仕入れた知識ざます。
何しろいわんやは事件当時1歳。何も知らない(笑)。浅沼稲次郎のお墓は大変立派だけど
テロで殺されるなんて、ご本人にとっても遺族にとっても無念そのものだっただろう。

せっかくだ。もう一つお墓を見学しよう。
日本人として二人目のノーベル賞学者・朝永振一郎の墓があるっていうから行ってみた。
府中市・小さな旅【多摩霊園編2】_c0393255_01380465.jpg
 
たぶんこの辺・・え?仁科芳雄??・・・この人は日本の素粒子物理学の草分け的大学者で
朝永振一郎や湯川秀樹の「師匠」にあたる存在のはずだ。ってことは朝永振一郎の墓は、この
師匠の墓の近くにあるわけ?
府中市・小さな旅【多摩霊園編2】_c0393255_13492181.jpg
 
しかしあたりを探しても「朝永家之墓」はないよ?このあたりのはず・・という場所に
あるのは朝永の師匠格にあたる先生の墓だけ。んーー??どうなってんだ?

あ・・・。仁科芳雄の墓所内にもう一つ、こんな石が。
「朝永振一郎 師とともに眠る」って書いてある。ってことぁナニかい?朝永振一郎は
師匠の仁科芳雄のお墓に“同居”する形でお墓作ったわけ?
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ウチに帰って調べてみたら、朝永振一郎の正式なお墓は京都にあるそうで、仁科芳雄と一緒に
眠るために分骨したんだって。朝永はカゲで仁科のことを「親父」なんて呼んでたそうで、
師匠として本当に慕ってたんだねぇ。
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いわんやは文学部出身で理系に関しちゃ完全白痴なんだけど、なぜか物理学の歴史に
関してだけはけっこう本を読んでて少しだけ詳しい。だもんで「仁科芳雄」って名前を見て
「あれ?」と思ったんだけど、結果的に仁科と朝永という二人の偉大な物理学者の
師弟の絆を知る、貴重な機会になったのでした。

(本日使用した、いわんや撮影写真以外の人物画像はWikipediaのもの。浅沼刺殺画像は
 そこらじゅうにあるからオオモトは不明です)
 
 


# by tohoiwanya2 | 2020-05-24 00:04 | さんぽ 2020 | Comments(0)
2020年 05月 22日

若かりしいわんやの黒歴史 その5

再び黒歴史シリーズ。

これまで書いた様々な黒歴史の舞台となったブラック企業を、いわんやは結局2年半くらいで
辞めた。短い在職期間だけど、それでも同期で入ったもう一人よりは長持ちしたのだ(笑)。
辞めたのが1984年の夏、25の時だったはず。

その前年、1983年の秋にいわんやは親元を出て一人暮らしを始めたていた。
前回書いたお見合い後に引っ越ししたわけで、転居先は西武池袋線の江古田駅から
徒歩10分、家賃3.7万円、風呂なしの安アパート(トイレはあった)。
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独立してアパート暮らし。親元にいる時よりお金が必要になるのにいわんやは会社を辞めた。
ではそのあとどこに転職したのか?

恐ろしいことにどこにも転職しなかったの。
会社勤めせず、フリーで、一人だけで仕事してたんですねー。恐ろしいですねー。どうやって
「食ってた」かというと、まぁある種の絵を描く仕事をしてたんだと思ってほしい。

絵を描く仕事で名を成して有名になってリッチになって・・なんて見通しはもちろん皆無。
別の会社に就職してれば経済的にはまだマシな生活を送れただろうけど、その時はとにかく
「フリーで一人暮らし」ってのをしてみたかったんだよ(笑)。この当時からいわんやは
「しなかったことを後悔するより、してしまったことを後悔する方がナンボかマシ」という
乱暴な信条をすでに持ってたようだ。

絵を描く仕事でわずかな原稿料をかせぐ目星はついていた。それならやっちゃえ!やっちゃえ!
「フリー一人暮らし」のチャンスは今だ。たとえそれが貧乏なものになろうと、自分が老人に
なった時に「ああアレやっといてよかった」と思うはず・・そう考えた。まぁ確かにあれは
本当に気楽で、自由で、貧乏で、でも「やっといてよかった」日々だったと思うよ。

1984年7月に会社を辞めた以上、翌1985年は丸々1年、絵を描く仕事だけで「食った」
わけだけど、その年の年収は翌86年に確定申告したからよく覚えてる。税引き前177万円。
原稿料は1割源泉徴収されるから、実際の“手取り”は約160万円だったことになる。
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上に書いたように家賃は3.7万円。12ヶ月で44.4万円だ(滞納なんてしてないぜ)。
160万ー44.4万=115.6万円。12か月をほぼ「月10万円弱」で過ごしたわけだけど、
家賃以外に自由になるおカネが月10万円あれば、一人なら食うには困らないよ。
まぁほとんど「食うだけ」の生活ではあったけどさ。

時は1980年代後半。日本がバブル景気に沸いてる頃で、同年代の若者の多くはバブリーに
「今日はマハラジャ、明日はスキー」みたいな日々を送ってた・・らしいけど、当然ながら
江古田での暮らしはバブルと無縁の貧乏生活。だからいわんやはバブル華やかなりし頃に
遊びたい盛りの独身20代を過ごしたにも関わらず、バブルを体験してないの(笑)。
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こんなイイカゲンでジダラックな20代を過ごしたいわんやだから、いま若い人にエラそうに
何か言う資格なんてないけど、自信をもって言えることが一つだけある。それは・・

「人生は20代で決まる」なんてことはない、ということだ。
“啓発モノ”の本にそんな題名のものがあるみたいだけど、そんなことないって。

人生が20代で決まるなら、23で卒業してまずブラック企業、次に怪しいフリーランスという
救いがたい20代を過ごしたいわんやのその後の人生はボロボロ確定だったはずだ。まぁ
これについては「実際ボロボロになったじゃん」という冷静なご意見もあるだろうが(笑)。

でもね、ジンセイ20代で決まったりするわけないって。
仮にいまアナタが苦しい20代を過ごしてるとしても、そのことで絶望することはない。
この先還暦すぎまで勝負は何十年も続く。その間には転機や分かれ道もたーくさんある。
「オレはもうダメだ」なんて20代で決めつけるべき理由は全然ないのだ。
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この江古田時代は3年半くらい続き、その後いわんやは観念して再びサラリーマンに戻り、
つい先日まで中断なく働き続けた。その後2度転職した時もぜんぜん中断なく、昨日までA社に
出勤してたのが今日からB社に・・って感じだった。転職する時くらい、しばらく働くのを
中断して休みたいという気持ちは当然あったんだけどさ・・。

でも20代に江古田時代という「壮大な中断」を経験したんだから、しゃあねぇって感じで
アキラメはついた。定年のあと1年3か月勤務延長したのだって、江古田で過ごしたあの
自由すぎる3年半の罪滅ぼしと思えば、まぁしゃあねぇ。

ほら、すごいでしょ?
風呂なしアパート、貧乏、万年床・・・ジダラックを絵に描いたような“あの頃”が
その後の労働モチベーションに、ちゃんとなってるんだよ(笑)。

(本日使用の画像はぜんぶ2012年インド出張の時のものざます)
 
 


# by tohoiwanya2 | 2020-05-22 00:10 | むかし話 | Comments(2)
2020年 05月 20日

“コロナ氷河期”の旅行関連産業を考える

黒歴史が続くのかと思うとまたハナシは変わる。
タイ国際航空が会社更生申請ってニュースを読んでちょっと驚いたわけ。何度も
乗ったことある航空会社だしねぇ。日本便はもうずっと運休してたようだ。
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観光業は今や自動車産業を抜いて世界最大の産業になりつつあるって何かで読んだ。
世界の観光業従業者数が莫大なのも間違いない。まぁ航空産業を観光業に含めるかどうかは
微妙だが(たぶん含めない)、その世界最大の産業もコロナっち騒ぎで今やガタガタ。

最近、ある航空会社と、あるホテル予約サイトからいわんやにメールが来た。一種の販促メール。
今の状況じゃ販促もヘチマもないだろうと思うけど、見てみると業種によって置かれた状況の
違いが推測できて興味深い。まず航空会社の方からご紹介しよう。ベトナムの格安航空会社
Viet Jet=ベトジェットだ。

2013年にベトジェットに乗った時のことは以前の記事に書いた。この会社はその後バキバキと
成長し、今や成田とハノイ・サイゴンを結ぶ定期直行便もある。いわんやも4月の休暇消化旅行じゃ
ベトジェットでベトナム行こうかと当初検討したくらい。何しろハノイ往復が3万円台。ド安い。
そんなベトジェットからこの時期に届いた販促メールとは?
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ベトナム語だからよくわかんないけど、たぶん899.9万ドン払えば9月末まで、1,699.9万ドン
払えば来年3月末までベトジェット国内線乗り放題・・というキャンペーンじゃないか?

すさまじい金額に思えるけど、そこは巨大数の国ベトナム。日本円にすればそれぞれ約4万円強と
8万円弱ってレベル。ベトナムってコロナ感染者数がまだ300人台と驚くほど少ないから国内移動は
それほど強烈に制限してないのかもしれない。8万円弱で1年近く国内線乗り放題ならお得だ。
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しかし一方で「ベトジェットもかなり苦しいんだな」と思っちゃうんだよねぇ。
これって要するに「需要先食い」型キャンペーンじゃん?とにかく会社運営のために今すぐ
キャッシュが必要だっていう台所事情が感じられる。勢いにモノをいわせて急拡大してきた
格安航空会社にすれば、突然の「コロナ氷河期」は大打撃だろうからなぁ。

もう一つのメールはいわんやが長年愛用しているホテル予約サイトBooking.comから。
この状況じゃホテル予約需要も激減だろうから、閑古鳥が鳴いてるのは間違いないが・・。
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ひー・・・なんか泣かせるねぇ。
「コロナが終息したらまた旅行してね、ウチでホテル予約してネ」という思いがこもってる。
でも上で見たベトジェットみたいに需要先食いしてでもとにかくおカネが必要なんです的な
切迫感はさほど感じられない。

こういうところ、施設や機材を実際に保有してる企業と、ネットビジネスとの差だろうなぁ。
ガンガン操業して回収する前提でホテル建てたり機体購入したり、初期投資したのに、それを
ただ「遊ばせとく」しかないんじゃ苦しいべさ。そういう負担を抱える航空会社に比べりゃ
skyscannerみたいなネット予約サービス業がずっと身軽なのは間違いない。
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しかし観光ネットサービス業も、ホテルや民泊施設、航空産業なんかにいわば“寄生”する立場。
これまではうまく共存共栄できてたけど、コロナ氷河期が延々続いて“宿主”がバタバタ倒れたら
関連ネットサービス産業だって共倒れだ。こういうタトエもどうかと思うが。

でも待つしかない。さもなきゃベトジェットみたいに需要を先食いするしかない。設備型産業は
「テイクアウト始めました」ってわけにいかないからね。この氷河期が長引けばこの先もさらに
観光関連産業の倒産だ、会社更生だってニュースが続く可能性は高い。

あちこちの国の入国制限がなくなれば、いわんやもまたベトジェットやタイ国際航空に乗って
東南アジアに行きたいと思ってるよ。その時はこれまで通りBooking.comでホテルを探して
予約するよ。だからさ、それまで頑張ってくれ。

 


# by tohoiwanya2 | 2020-05-20 00:06 | 海外あれこれ | Comments(2)
2020年 05月 18日

若かりしいわんやの黒歴史 その4

ラオスから多摩霊園にイッたと思ったらこんどは黒歴史シリーズの続きときた。相変わらず
話がバカスカ飛んですまんが、それもこれもオレに旅行させないコロナっちが悪いのだ。

旧ブログでは「イ課長の黒歴史」だったけど、こっちでは当然標題もこうなる。まぁ誰だって
若い頃に黒歴史の一つや二つはあるだろうけど、いわんやの場合あのブラック企業に勤務した
たかだか2年半程度の間にいろいろありすぎたワ。たとえばだよ?

・・信じ難い話だが、いわんやはあのブラック企業勤務中に一度お見合いをしてる。
ジンセイただ1回のお見合いを、なぜか大学出て1年ちょっとくらいでやるっていうのは
まさしく「する方、させる方、両方に問題がある」典型的パターンだな。
  若かりしいわんやの黒歴史 その4_f0189467_21085905.jpg
 
その会社の総務・経理関係を担当してたのは社長の実妹で、かつ専務の奥さんというヒト。
同族経営的な性格の会社だったわけだ。当時社長が40前だったから妹さん&専務夫人は
30代半ばくらいだったはず。この専務夫人、大学出たてでいきなり納期遅れ対応に奔走する
超ペーペーいわんやにわりと同情してくれてた・・んじゃないかと思う。

これは後で知ったことだけど、その専務夫人が知り合いから「このお嬢さんに合うヒト、
オタクの会社にいない?」って感じで独身男の紹介を頼まれたらしい。つまり専務夫人も
相手のお嬢さんのことは全然知らないわけで、写真1枚だけを資料として持ってた。

ある日専務夫人が「こういう女のコ、好み?」と言って若い女性の写真を渡してきた。
写真っつうても大判見合い写真じゃなく、普通の服着て玄関前かナンかで撮った普通の
スナップ写真だ。品のいいお嬢さんが写ってるから「キレイな人ですねー」みたいな
感想を述べたら「そう?じゃ、この話進めていい?」・・え?なんのハナシですか?!!

入社2年も経ってない超安月給のゾウキン社員。社会的地位も経済力もゼロのバカ者に
ケッコンなんて冥王星より遠い話。そういうヤツに見合い勧めちゃうんだから、明らかに
「させるガワ」に問題があると言わざるを得ない。

しかし「するガワ」にも問題があったことは正直に告白しなければならない。
「去年まで大学生だったボクに結婚なんかできるわけないッスよー」と最初は辞退した。
そこまでは正しい。しかし24歳のバカの心の中に「お見合いってどんなんだろ?」という
好奇心があったことは否定できない。ええ、ありましたよ、興味と好奇心が。

そこで「パンチDEデートに出るようなつもりでいいんですか?」と聞いてしまった。
この質問は「それでいいのよ〜堅苦しく考えないで♫」というお決まりのセリフで即座に
承認され、スルことになってしまったのだ、お見合いを。
(若い人は知らんだろうが、パンチDEデートってカップル・バラエティ番組が当時あったの)
  若かりしいわんやの黒歴史 その4_f0189467_21085996.jpg
 
ホテルの喫茶室で日本庭園を見ながら、振袖を着たお嬢さんと・・・と、そこまで格式ばった
お見合いではなかった。会社終わったあと普通の喫茶店で会ったんだけど、いわんやガワには
専務夫人、相手のお嬢さんには専務夫人の知り合いと、それぞれ“セコンド”が付き、彼女らは
ほどなく「後はお二人だけで・・おほほ」と、これまたお決まりのセリフを残して退場。

相手のお嬢さんも同い年くらいだったと思う。キレイな、いかにも育ちの良さそうな人で、
スレた感じが皆無の素直そうなお嬢さん。大学出たてのチンピラサラリーマンには分不相応な
相手なのは一目瞭然だ。それでも一応あれこれ話をして、何か食べて、お茶を飲み、別れた。
もちろん別れる前にはちゃんと駅までお送りしました。

お見合いはそれで終了したはずだった。トングでパンツ干すようなヤロウに結婚なんて考えられる
はずもない。さらなるお付き合いに発展なんてあり得ん。それが若きいわんやの認識。

しかし相手方は少しだけ認識が違ったようだったのだ。今じゃ考えづらいだろうけど、
(たぶん)37年前のあの当時はまだ「女はクリスマスケーキ」なんて言われてた時代。
24は売り時、25がぎりぎり、26になれば売れ残り・・なんて考え方がまだ残ってたんだよ。
彼女のガワには「そろそろ・・」というキモチが多少あったのかもしれない。

そのうち、向こうガワのセコンドから「彼女に連絡してあげて下さい」という手紙が届く。
ご本人からも「次は・・?」という電話が。こ、これはマズい。このまま事態が進行するのは
極めてマズい。あなたの相手はケッコンなんて到底ムリなチンピラで、当人もそんなこと全然
考えてないってことを説明し、もっとマトモな相手を探してもらわなければ。

で、そう話をした。もう一度二人で会って、直接いわんやが相手のお嬢さんに話したのだ。
これが正かったのか間違ってたのか・・まぁたぶん間違ってたんだろうなぁ。

普通そういうことは“セコンド”を通じて伝えるモンなんだろう。だがそもそも今回の事態は
ケッコンする気皆無なのに「お見合いってどんなんだべ?」という好奇心に引きずられて
お見合いしたいわんやが悪い。要するに「てめぇがしでかした不始末」。てめぇの不始末は
てめぇでカタつけろ・・と思ったわけ。だから自分で話した。

あーーー・・・彼女には本当に申し訳ないことをしたと思う。
このコトで愚かすぎるいわんやもさすがに学んだよ。
ケッコンする気ゼロでお見合いをしてはならぬ」という極めて当たり前の哲理を、だ。
  若かりしいわんやの黒歴史 その4_f0189467_21085903.jpg
 
その後彼女がどうなったのかは全く知らない。とても素直で性格のいいお嬢さんだったから、
いわんやみたいなクズではなくチャンとした人と結婚し、幸せになってるはず。それだけは
間違いないと思うのだ。

その後だいぶ経っていわんやはトホ妻とレンアイ結婚するわけだが、「クズと結婚すると
どういう風に不幸になるか」についてはトホ妻に聞いてほしい(笑)。

(本日使用の写真はぜんぶ2009年パリ一人旅の時のものざます)

 

# by tohoiwanya2 | 2020-05-18 00:02 | むかし話 | Comments(2)
2020年 05月 16日

府中市・小さな旅【多摩霊園編】

ラオスネタはちょっとお休みして府中ネタいくか。
ステイ・ホーム、家にいよう、せめて散歩に出かけようシリーズ。正確に言うと
本日は散歩ではなく自転車でGoだったのだが。

目的地は多摩霊園。ここはウチから歩いて行こうとするとちょっと時間がかかるから、
機動力(チャリンコ)に頼るのである。
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多摩霊園には個別のお墓もワンサカあるけど合葬施設もあって、そこにはトホ妻の両親、
いわんやの義父・義母が眠っている。まずはそこにお参り。

合葬施設って、毎日何人もの人がお参りに来るから、いつ来ても必ずキレイな花があるし、
みんなが寄付してくれたお線香もロウソクもマッチもある。花屋さんでお線香や花買ったり
桶や柄杓を借りる必要もない(合葬施設には水かけない)。

義父・義母のお墓参りを済ませ、さて、今日は「著名人墓めぐり」してみようか。
霊園管理事務所に行ってA3版の霊園案内図をもらう。とにかくものすげー広大な霊園だ。
調べてみると、いわんや家の墓がある谷中霊園の面積が102,537㎡なのに対し、多摩霊園は
1,280,237㎡・・・・ひーッ!12倍以上あるやん。こらブッたまげた。
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地図の裏に多摩霊園に眠る著名人のリストが。これもまたすげー人数だ。ザッと見ても
知ってる名前がけっこうある。
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とりあえず管理事務所に近い7区の「特」というところに行ってみよう。
なにせ「特」だから、ここはセレブ用。超エラい軍人さんの、超立派なお墓が2つある。
その一つが東郷平八郎の墓。日露戦争におけるの英雄、っつうかほとんど「軍神」。
てっきり東郷さんのお墓は東郷神社にあると思ってたけど、多摩霊園にあるんだねぇ。
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その隣はご存知山本五十六のお墓。1943年4月18日に南方で搭乗機が撃墜されて戦死。
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この二人は有名だし、いわんやも「坂の上の雲」は読んで東郷のことも少しは知ってる。
しかし個人的な思い入れは当然ない。霊園案内裏面の、すごい数の著名人墓リストを見て
「他にどこ行こうかな・・?」と考えてたら、ある人の名前が目に・・お?この人には
思い入れたっぷりあるぞ。よし、ソコ行ってみようってんで26区を目指した。

何せ広大な霊園だから26区まで行くのもしばらく自転車こぐ。
やっと着いたら「側」の番号を確認するけど、地図には「番」までは載ってないので、
順ぐりに確認して歩く。お、これか。
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この平井家のお墓に本名平井太郎、筆名江戸川乱歩が眠っている。
江戸川乱歩といえば、いわんやが小~中学生時代にドップリ浸かった作家の一人。
コナン・ドイルではなく乱歩だったの。単に「面白くて何度も読んだ」ってだけじゃなく
後年のいわんやの文章作法にも江戸川乱歩の影響がないとは言えない。

さて読者諸君、探偵小説というものの性質に通暁せられる諸君は、お話は決してこれきりで
終わらぬことを百もご承知であろう。いかにもそのとおりである(『心理試験』の一節)。

なんて、こんな「乱歩節」。いわんやもブログでよく読者に向かって話しかけるけど、
こういうところ、我ながら乱歩の影響をちょっと感じる(笑)。

墓誌がある。うわー、江戸川乱歩の戒名って「幻城乱歩居士」なんだ。これはまた何と
「それらしい」戒名であろうか。「幻影城」っていうのが江戸川乱歩の有名な評論集で
あることを知ってる人ならみんなそう思うはずだ。
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お墓には「平井家」としか書かれてないけど、ワキにこんな石碑も建ってる。
日本推理小説のパイオニアだからねえ。花もお線香も持ってなかったけど、江戸川乱歩に
多大な影響を受けた読者の一人として、お墓参りさせていただきました。
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この日はこれで帰ってきた。でもここには「あの人のお墓があるならお参りしたいな」と
思わせる人がまだたーくさん眠ってらっしゃるから、多摩霊園お墓参りシリーズは間違いなく
続編があると思われますです、はい。

どこにも旅行できず、府中散歩シリーズだってそうそうネタが続かない・・と思ってたけど、
ここに来さえすれば、しばらく府中ネタには困らないかも(笑)。
 
  

# by tohoiwanya2 | 2020-05-16 23:19 | さんぽ 2020 | Comments(0)