人気ブログランキング | 話題のタグを見る

いわんやブログ

retiredikacho.exblog.jp
ブログトップ
2020年 10月 05日

根津という町を歩く その2

根津散歩は続く。
最初に地下鉄から地上に出た不忍通りに戻り(千代田線はこの通りの下を通っている)、
そこを北上しましょう。看板を見るとこの辺は文豪の町なんだと。
根津という町を歩く その2_c0393255_21202095.jpg
 
これは実際その通りみたいで、この近くには夏目漱石の「猫の家」があったらしい。ただし
今は記念碑だけで、家そのものは愛知の明治村にあるみたいだけどね。

そういえば思い当たる。
前回記事で清水谷の案内を見た近くにはこんなホテルがあった。ウィーン旅行の時に泊まった
ホテル・ベートーヴェンを思い出す。しかし何で根津で鴎外?
根津という町を歩く その2_c0393255_21202090.jpg
 
何と、このホテルは旧鴎外邸の跡地に建てられてるらしい。森鴎外旧宅ってけっこうあちこち
あるけど、その一つは今こういうホテルになってるんだねぇ。
根津という町を歩く その2_c0393255_21202019.jpg
 
しかし今日は文豪についてはあまり追及しない。
しばらく歩いたところで不忍通りから路地に入りましょう。ここからちょっとした凹凸散歩に
なるはずなのだ。地図を見て面白そうだったから突っ切ってみたかった。まず最初にあるのは
異人坂という登り坂のはずで・・ああこれだ。
根津という町を歩く その2_c0393255_21215770.jpg
 
昔この坂のあたりに東大の外国人教師たちが住んでいた・・っていうんで異人坂。
根津という町を歩く その2_c0393255_21214702.jpg
 
この坂を登ると確かに東大の弥生キャンパスで、農学部とかがあるみたい。
今は周辺は住宅街になってるけど、明治時代はお雇い外国人教師の家があったんだろうなぁ。

こんなプレートもあった。これを見て二つのことに驚く。
一つはここが向ヶ岡って地名だったことだ。前に待乳山聖天の記事で、上野の山からの景色を
落語では「向ヶ岡、湯島の天神、神田の明神、こっちは待乳山聖天・・」っていうって書いた。
つまり遠くからでも目立つ高台や森があったところなわけで、ここがその向ヶ岡だったんだ。
なーるほど、江戸時代に向ヶ岡と呼ばれた高台にはいま東大があるわけね。
根津という町を歩く その2_c0393255_21215787.jpg
 
二つ目の驚きはここが弥生式土器という名称の由来となった場所だってことだ。
日本中のコドモが必ず歴史の教科書で習う、あの古代土器がまさか東京都文京区内の地名に
ちなんで命名されてたとは存じませんでした。お見それ致しやした。

・・などと驚いてるうちに道は突然なくなって、あの先には「おばけ階段」がある。
冗談じゃないの。地図にもそう記載されてるんだから。
根津という町を歩く その2_c0393255_21214715.jpg
 
これも由来があって、途中でグネッと曲がった構造の階段のせいで、登った時と降りた時とで
段数が違うらしいんだな。だからおばけ階段。しかしこの日は降りるだけで実験はしてない。
暑いんだから、登ったり降りたりさせるな。
根津という町を歩く その2_c0393255_21220276.jpg
 
異人坂を登り、おばけ階段を降りる向ヶ岡散歩。この辺、東大以外にも病院とか学校とか、
大型公共施設が多いようで、さっきのプレートにあったみたいに、元は広大な武家屋敷が
続いてたんだろうな。

“平地”に降りてみると、こんな教会がある。
「谷根千エリア」のうち、谷中や千駄木は何度か歩いたことがあるけど、根津は初めて。
なかなか面白いトコだねぇ。
根津という町を歩く その2_c0393255_21220153.jpg
そんな面白い根津散歩はもうちょっと続くのである。

 


# by tohoiwanya2 | 2020-10-05 00:12 | さんぽ 2020 | Comments(2)
2020年 10月 02日

根津という町を歩く その1

都内マイクロツーリズムシリーズ。
根岸の次に根津さんぽネタいっちゃうか。字が似てるし(笑)。

根津は根岸より若いご婦人に人気があるエリアと言えるかな。
谷中・千駄木と並んでおしゃれな下町情緒あふれる「谷根千(やねせん)」として知られる。
しかしどうせいわんやだから若いご婦人向けのトコには行かんが。
 
例によって落語の話で恐縮だが、根津というと二つの有名な怪談噺が浮かんでくる。
根津って地名はどっちも噺の冒頭に出てくることが多いんじゃないかな。

根津の七軒町に富本の師匠で豊志賀という・・・
・・とくれば、大長編怪談噺「真景累ヶ淵」の中でも屈指のコワさで演者の多い「豊志賀の死」。
豊志賀が嫉妬に狂う若いお久っていう女の子が住んでたのも根津惣門前ってことになってる。
要するに根津あたりの話なわけ(画像はamazon)。もう一つはというと・・。
根津という町を歩く その1_c0393255_00295290.jpg
 
根津の清水谷に住んでおります萩原新三郎という若い浪人者・・
・・とくれば、これまた有名な怪談「牡丹灯籠」だ。本来はこれも長~い噺なんだけど、落語家が
しゃべる牡丹灯籠といやぁ大抵は一番有名な「お札はがし」の所で、カラーン・・コローン・・と
下駄の音をさせてお露の幽霊がやってくるのが根津・清水谷の新三郎の家というわけだ。
(画像はWikipediaから拝借)
根津という町を歩く その1_c0393255_00272014.jpg
 
どちらも明治時代の名人・三遊亭圓朝作の怪談。圓朝にとって谷中とか根津のあたりはたぶん
地元だったはずなんだよね、よく知らないけど(圓朝のお墓は谷中にある)。

とにかく根津って町は有名な怪談によく出てくる。それなら一つ、例によって落語さんぽがてら
行ってみようじゃないの。というわけで行ってみた。

はい着いた(早い)。千代田線は時々乗るけど根津で降りるのは初めてじゃないかな。
根津という町を歩く その1_c0393255_00211843.jpg
 
まず目指すは根津七軒町。ただし七軒町という町名は現在はない。
いろいろ調査したところ、この都電モニュメントがる場所が七軒町があったあたりらしいのだ。
根津という町を歩く その1_c0393255_00211854.jpg
 
豊志賀は長屋に住む設定だったはずだけど、二階もある家だからそれなりにチャンとした家が
連なる長屋だったと想像される。江戸のはずれの住宅地って感じだったのかな。今やそんな面影を
感じさせるものは皆無だが。

これによるとかつて「池之端七軒町」っていう都電停留所があったんだね。
都電の停留所は都内にゴマンとあったはずだけど、こうやってわざわざ都電をモニュメントとして
残しているくらいだから、利用者の多いターミナル停留所だったのかもしれない。
根津という町を歩く その1_c0393255_00211873.jpg
 
さらに歩くとこんどは清水谷。ここも今そういう地名はないけど、こんな看板は残ってる。
ここは急な坂の上り口で、しかも急カーブになった場所。
根津という町を歩く その1_c0393255_00231101.jpg
 
右は斜面になってるけど、斜面の上のあるのは実は上野動物園なのである。地名は変わっても
地形は劇的に変わってないはずだから、萩原新三郎は上野の山の直下に住んでたという設定に
なってたんだと考えられる。江戸時代ならこの辺、夜は真っ暗だっただろうなぁ。こういうトコを
お露さんの幽霊がウロつきまわったわけね。
根津という町を歩く その1_c0393255_00231121.jpg
 
・・という感じで名作「牡丹灯籠」「真景累ヶ淵」にまつわる、しかし現存しない場所2か所は
「この辺かぁ」と確認しただけでアッという間に終わり。しかもビジュアル的にはあまり面白くない。
これだけのために根津に来たのか?

いやいや。その辺はこっちもヌカリない。
この辺から入ってこの辺を抜けて、最終的には日暮里に出てみっか、という大まかなルートを
一応ちょっと研究しておいたのである。まずはその「この辺から入る」あたりに向かって
さらに散歩を続けましょう。

 


# by tohoiwanya2 | 2020-10-02 00:30 | さんぽ 2020 | Comments(2)
2020年 09月 30日

根岸 御行の松というところ

さて四都物語が終わったら、こんどはこの夏の都内マイクロツーリズムネタだ。
けっこうたまってんだよねコレが。何せ海外はもちろん地方にも行けないんだから。
ドレもコレも地獄のように暑かった頃の話。

まず根岸に行った話からいってみるか。
前に書いたようにいわんやは7月の終わりに初めてスマホ=iPhoneを買った。
中に入ってた「マップ」って地図アプリを試してみようとしたんだけど、「府中」なんて
検索しても当たり前すぎてつまらない。そこで、たまたまその直前に落語で聞いた
「御行の松」と入れてみた。(注:おぎょうのまつ と読みます

御行の松なんて、よほどの江戸下町歴史ファンか、落語ファンでもなきゃ知らないはずで、
こんな地名で検索しても・・いや地名じゃないよな。厳密に言えば松だから単なる植物だ。
そんなんで検索しても出てきっこないよな・・と思いながら試してみたのだ。

するとどうであろう。イッパツで根岸にある御行の松の位置が表示されるではないか。
これにはビックリ仰天さ。フトンの中でスマホいじりながら「ええッ?!」と叫んじまった。
根岸御行の松をご存知とは大した地図アプリだ。恐れ入りやした。
根岸 御行の松というところ_c0393255_02222409.jpg
 
いわんやが御行の松を知ってたのは「お若伊之助」という落語を古今亭志ん朝の録音で
何度も聞いたからだ。イケメンに化けたタヌキがお若さんという絶世の美女と通じ、
ついにお若さんが懐妊してしまうというトンでもない話。最後はこんな感じ。

月満ちて生まれてきたのが何と狸の双子。すぐに絶命をいたしましたので
御行の松のほとりに埋け、塚を作ったと伝えられております。根岸御行の松、
因果塚由来の一席でございました。・・・(お辞儀、拍手) 

てな感じで終わるわけ。中身はあり得ないファンタジーだけどエンディングは講談風。
そんな御行の松がiPhone地図アプリでイッパツ検索されるとなりゃ、そりゃビックリもするし
行ってみたくもなるってもんだ。そこである日モノズキにも出かけてみた。

最寄り駅は鴬谷。日暮里は何度も降りたけど、となりの鴬谷はついぞ利用しないよなー。
駅前に大ラブホテル街があるってことくらいしか知らない・・。
根岸 御行の松というところ_c0393255_02211254.jpg
 
地図によると駅から10分くらい歩くと御行の松がある。暑い中ダラダラ歩いてると、なな何と、
通りの名称までコウなっておるではないか。御行の松って今やそんなに有名なの?
根岸 御行の松というところ_c0393255_02211213.jpg
 
おお着いた。しかし目をひくような松の木はないね・・・。
根岸 御行の松というところ_c0393255_02211271.jpg
 
江戸時代、ここにあった松は大した巨木だったようで、遠くからでもよく見えたらしい。
その「松っぷりの立派さ」で江戸名所の一つに数えられるまでになったわけだ。
根岸 御行の松というところ_c0393255_02222400.jpg
 
何代か枯れては植え替えを繰り返し、現在の三代目だか四代目だかの松の木はまだ小さい。
これが初代御行の松くらいにまで大きくなるのは(なれば、だが)かなり先だろうなぁ。

現在ここには御行の松不動尊というのがある。ふーむ・・初代の松の絵にも小さいお社が
描かれてるから、江戸時代の昔から御行の松の下には不動尊があったと推測される。
ま、せっかく来たんだ。お参りしていきましょう。
根岸 御行の松というところ_c0393255_02251826.jpg
 
およよ。現在の松の根元を見ると「狸塚」なんてものがある。
これはまさに生まれてすぐ絶命した双子のタヌキを埋めた塚?・・・ンなバカな。
根岸 御行の松というところ_c0393255_02222429.jpg
 
人間がタヌキの子を産むなんてこと、あるわけねぇじゃねぇか(笑)。あの落語はオトギ話。
おそらくこの狸塚は歴史的に由来があるものじゃなくて、落語にちなんでわりと最近
置かれたものでは?ちょっと“狙ってる”感じがする。

まぁいい。さて帰るとするか。暑いし。御行の松不動尊もコロナのせいで
奉納盆踊り大会が中止とか、いろいろ大変だったご様子。
根岸 御行の松というところ_c0393255_23161055.jpg
  
鶯谷には戻らず、西に歩いておなじみ日暮里に出ることにした。
途中こんな廃墟としか思えないビルがあったりして、根岸〜日暮里周辺もまだまだナゾが深い。
根岸 御行の松というところ_c0393255_02273377.jpg
 
とにかくこの日も暑くてねぇ・・・。
日暮里でメシを食ったあとは何度か行ったことがある日暮里のタイマッサージ屋さんに避難。
この店においていわんやは「カタコトのタイ語を話す客」として、タイ人女性施術者たちから
高く評価されているのである(笑)。 

 


# by tohoiwanya2 | 2020-09-30 00:09 | さんぽ 2020 | Comments(0)
2020年 09月 27日

アジア出張・四都物語【総括編】

はー・・・やっと四都書き終わった。
怪しい会社勤務時代の黒歴史から派生して始まったけど、18個の記事になっちまった。
しかし記事に書いてない細かい記憶はまだ山のように残ってる。

北京の地下道で物乞いが布団に寝ててギョッとしたこと、バンコクのコンビニで若い
女子店員が間違えたお釣りをわざわざ持ってきてくれたこと、ジャカルタの野外メシ屋で
通訳さんとメシ食ってたらコーラの飲み口にハエがとまって「う・・・どうしよ」と
思ったけど、そのまま飲み口を指でぬぐって飲んじゃったこと・・・(笑)。

思い出される記憶は尽きない。しかし今回、19個めの記事ではそういうことではなく
四都物語の総括編を書いておきたいのだ。総括ってどういうことかというと、たとえば・・
 アジア出張・四都物語【総括編】_c0393255_16574961.jpg
 
いわんやさん、東南アジアでお腹こわさなかった?
けっこう聞かれたね、これ。
初めての海外出張で、仕事以外に体調のことまで考える余裕はなかったけど、最後の
マニラが終わって振り返ってみるとお腹を壊したことは一度もなかった。ハエのとまった
コーラ飲んだのに、だ(笑)。

この「海外出張でなぜか壊れない腹」は危険性の高かった2012年のインド出張でも
壊れなかったから、実際にタフな腹なのかもしれない。まぁオレらくらいの年代だと
若い人たちより雑菌いっぱい飼ってるはずだし(笑)。
でも出張じゃなく旅行だと、例の「時そば事件」でバンコクで大ゲーリーしたなんて
こともあるから、やっぱ出張中は胃腸もキンチョウしてたのかもしれん。
 アジア出張・四都物語【総括編】_c0393255_16574978.jpg
 
何か盗られたなかった?
いわんや的に「腹壊し」より心配だったのはこの「盗難アジア」問題。海外出張でモノを
盗られる、スラれるといったタグイの話は昔も今もある。ま、これはアジアに限らないが。
怪しい会社にいたあるエラい人は米国出張でパスポート盗まれたし(笑)。

幸いにこの四都物語ではそういうトラブルはなかった。その後の一人旅じゃ台湾で
クレジットカードの入った定期入れ落としたり、カンボジア⇒タイ国境超えバスで
大金落としたりという大ドジ踏んでること考えりゃ4週間何も盗られず、なくさず
過ごしたのは上出来の部類だろ。
 アジア出張・四都物語【総括編】_c0393255_19040510.jpg
 
どこが一番よかった?
これもまたよく聞かれた質問だ。
しかしねぇ・・・正直言ってあの四都物語終了時点で「あの街はすごく良かった、
次は観光で再訪したい」と思った街はひとつもない。バンコクなんかに関して言えば、
出張後は明らかにキライになったもんね。

四都めぐりが終わったあとは、四都に限らず「もうしばらくアジアはいいよ・・」って
気分で、また来たいなんて気分にはなれんかった。当時はどの街も今よりずっと貧しくて、
猥雑で、バッチかった。そういう中を4週間歩き回るのは正直ちょっと疲れた。

これは「おそらく」なんだけど、37歳当時のいわんやにはアジア的貧しさや猥雑さやバッチさ等々、
一口で言えば「人臭さ」みたいなものを受け入れる余裕があまりなかったのかも・・って気はする。
この出張のあと自分の意思で行った海外旅行っつうとスペインとか、やっぱ欧州が多いんだよね。
アジアの混沌とはこの後しばらく縁がなくなる。
 アジア出張・四都物語【総括編】_c0393255_16574469.jpg
 
しかしそんないわんやも今じゃ東南アジア大好きニンゲン。
2012年インド出張で火がついて「アジアの混沌、行きてぇな・・」と思い始め、翌年に
ベトナム・タイを旅した時は何だか知らんがめちゃ楽しかった。つまり2013年、54歳じゃ
アジアの混沌が面白くてしょうがなかったわけ。

37歳では「しばらくアジアは結構ス・・」って思ったヤツが年とったら「アジア面白ぇ!」と
気に入って、その後毎年のように行くわけだから、変われば変わるもんだけど、そういう風に
変わるまでに17年の年月を必要としたのは事実なのである。

その17年の間にいわんやの嗜好が変わったってことかもしれないけど、実は単純に
「拘束の多い出張だったからつまらないのであって、自由な旅行で行けば楽しい」って
ことだったのかもしれないけどね(笑)。

 


# by tohoiwanya2 | 2020-09-27 23:28 | 海外あれこれ | Comments(2)
2020年 09月 25日

アジア出張・四都物語【マニラ回遊編】

まだあったのかよマニラ(笑)。

マニラにおける観光活動はほぼゼロに近かった。最後の半日観光がない分、ジャカルタより
自由時間はなかった。だから「観光編」じゃなく「回遊編」とでも書くしかない。。

マニラ湾は西に向いてるから「マニラの夕日」というのは美しいことで知られるらしいけど
それも見てない。海辺の道路を歩いたのは覚えてるんだが・・単に曇ってたのかな?
いわんやは昔から海外じゃ「夕日鑑賞運」がないらしい。

海外沿いには大きなホテルがいくつも並んでた。外資系の有名ホテルもあった。そういう
ホテルの多くはカジノを併設してるらしい。どうせ散歩したって大した観光スポットもないし、
カジノ、行ってみっか・・。

【カジノ初体験】

考えてみたら、いわんやはあのマニラのホテルにあったカジノに行ったのが現在までのところ
最初で最後のカジノ体験ってことになる。この調子でいけば生涯を通じて、あれが唯一のカジノ
体験になる可能性はかなり高い。

当然のことながらジェームス・ボンドみたいにタキシード姿でドライマティーニをすすりつつ、
華麗な手さばきでポーカー勝負・・・なんて出来るはずもなく、短パンにサンダル履きですよ。

さて何やろうか・・。スロットマシンはハンドルをガッチャンするだけで面白くなさそう。
そこでブラックジャック(ただし人間じゃなく機械相手)をしばらくやった。チップも
映画に出てくるプラスチックのチップじゃなく、銀色のコイン型。それを機械に投入して
画面相手にブラックジャックやるんだから、日本のゲーセンと大差ない(笑)。

1,000円くらいコインに替え、機械相手に1回50円だか100円くらいのブラックジャックで
勝負を繰り返した。儲かれば換金してくれたんだろうけど、もちろん儲かるはずもない。
結果的には「散歩して、冷房の効いたゲーセンでヒマつぶしした」だけと言っていいだろう。
何てショボいカジノ体験・・・。
 アジア出張・四都物語【マニラ回遊編】_c0393255_16482589.jpg
 
【ハロハロを食う】
これはホテルのレストランで食った。
ハロハロって近年は日本のコンビニでも売るようになったみたいで知名度も上がったけど、
当時は全然知られてなかった。本場のヤツは下の参考画像みたいに紫イモ?のアイスクリームを
中心に、各種フルーツがふんだんに盛られたパフェ形態のかき氷っていう感じ。

ビールも飲むけど甘味系も間口の広いいわんやだから、美味しくいただきました。
実はマニラ出張中、何食ったかほとんど覚えてないんだよ。だからあのハロハロは貴重な
「フィリピン・グルメ」体験だったことになる(下の画像はTRIPPINGってサイトから拝借)。
 アジア出張・四都物語【マニラ回遊編】_c0393255_23571054.jpg
【空港へのタクシーでびっくり】
マニラからの帰国便は仕事が終わった翌日の朝。最後の半日観光する時間すらナシ。
朝イチでホテルからタクシー乗って空港に向かうだけ。さらばマニラ。この町には
美しい思い出が皆無だったなぁ・・・。

タクシードライバーが「どこに帰るんだ?」と話しかけてきた。よくある状況だ。
「日本に帰らんとしている」っていうと、「オレの娘は日本人と結婚して日本に住んでる」と
言うではないか。この辺、ジャカルタの怪しいヤツと同じアプローチパターンだ。しかし
タクシーの運転手がサギとも思えんが・・。

「娘を訪ねて日本に行ったことあるよ。えーっと・・フナバシって町だった」

ええええええッ?!あまりの偶然に耳を疑う。
船橋っつうたらいわんやが中学~江古田に引っ越すまで住んだ町。今も実家があって時々行く。
思わず「ふっ、ふなばしッ?!Really?」と聞き返した。

「そう、フナバシ。フナバシでパチンコで遊んだよ。パチンコ面白かった・・・」
ひーーー。船橋のパチンコ屋なら具体的に頭に浮かぶから恐ろしい。たぶん駅前に何軒かある
ドレかだろう。このマニラのタクシードライバーといわんやが、時期こそ違え船橋にある
同じパチンコ屋に入ってる可能性は極めて高い。何ということだ。
 アジア出張・四都物語【マニラ回遊編】_c0393255_16482546.jpg
 
単なる偶然といやぁ偶然だが、ありゃ驚いた。
マニラ最後の思い出はタクシードライバーの「船橋バナシ」にびっくり仰天したことかな(笑)。
あのドライバーの娘さんだとすれば当時はせいぜい30歳、今は50代越えてるはず。

現在船橋にお住まいで(別のところに引っ越したかも)、マニラのタクシードライバーの娘さんで、
日本人と結婚したフィリピン女性の幸福を陰ながらお祈りしておりますです。

 


# by tohoiwanya2 | 2020-09-25 00:16 | 海外あれこれ | Comments(4)