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いわんやブログ

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2020年 06月 17日

コロナ鎖国、もういいかい?

タイネタを続ける前にひとつ、コロナ関連ネタを。

引退後の旅行ブログ(もう出張はないからね)にしようと思って開設したいわんやブログ。
しかし憎きコロナっちのせいで東南アジア休暇消化旅行は夢と消え、それならせめてと予約した
国内旅行すらキャンセルを強いられ、まさに超逆風下でのスタート。

しかしここに来て風向きが変わってきたように見受けられる。
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日本では6月19日から「県をまたいだ国内旅行」ができるようになるらしい。
新規感染者が2日連続40人越えだ、なんて騒いでる東京から、他県に行っていいのぉ?
まぁ行っていいんだったら行きたいけど、季節がなぁ・・6月下旬〜7月中旬はモロ梅雨。
梅雨が明けたらどっか行くか、どうせ海外旅行は当分行けないんだし・・・

・・と思ってたら、欧州の風向きも急に変わってきた。

つい先日、EUで多くの国が国境の自由化に踏み切ったっていうニュースがあった。
でも、それって基本的にEU加盟国民の、EU域内移動が自由になるって話だろ?
EU域外の、しかも観光客が自由に入れるようになるのはどうせずーっと先だろ?
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・・と思っていた。ところがそうでもないみたいなんだよ。
ギリシャは6月15日から日本人も入国可・・・うそぉ。フェイクニュースじゃないの?
そこで外務省の安全情報ページを確認した。これによると日本からの渡航者に何らかの入国
制限措置を設けてる国は現在181国/地域。ほぼ世界中が相互鎖国状態。その中でギリシャは?

6月15日からは,日本を含む29か国に対し,航空機での観光や短期出張(短期滞在)を
目的とする者の入国を許可する。

げーー!ホントなんだ。
欧州旅行なんて最低1年は無理だろうと思ってたけど、ギリシャはもうOKなのかい。

ギリシャだけじゃない。世界有数の感染者数・死者数だったスペインも7月1日からは
EU域外からの入国を認めるらしいし、他のEU諸国も7月1日から段階的に域外からの
入国を認めるっていうから、欧州旅行の解禁は予想よりずいぶん早くOKになりそうな雰囲気。
欧州諸国の鎖国を解くスピードの速さ、何だかすごい。

それならさっそく行こうか・・というほど単純にいかない。
もう一度外務省の安全情報ページを見てみると、ギリシャやスペインはもとより欧州全域が
「レベル3:渡航中止勧告」の対象。要するに日本政府は欧州を「コロナが収まった地域」
とは全然見なしていないわけだ。しかし実際のところどうなの?
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例のジョンズ・ホプキンス大学のサイトで調べてみた。
確かに欧州主要国の国別のグラフの形はだいぶ平らに近づいたけど、でもスペインとかイタリア
あたりは今でも数百人/日レベルで感染者が増加。「昔に比べりゃウソみたいに沈静化」したのは
確かだけど感染者の増えっぷりは現在の日本より多い。欧州観光して、ウィルスしょって
帰国されちゃかなわんから、渡航中止勧告はしばらく続きそうだよなぁ。

欧州に比べると、アジアの国の入国制限緩和スピードはその遅さ、慎重さが際立つ。
日本の場合、ベトナムと(前にも書いたようにここは感染者数がすごく少ない)ようやく相互緩和
しましょうとか言ってるとこで、その後タイや豪州、ニュージーランドあたりとちびちび緩和
していくみたいだけど、ビジネス渡航者に限るみたいで観光客の入国自由化なんていつになるやら。
欧州と違って、アジアの国に観光で行くのはまだまだムリっぽい。

観光産業の苦境とか、お国の事情に違いはあるにせよ、「コロナ鎖国」の解除に関してはとにかく
欧州が全体的に早く、アジアは遅い。どっちがいいのか、悪いのかはもちろんわからない。
しかしいずれにしても、いくら向こうが入国OKでもこっちが渡航中止勧告じゃねぇ・・。
欧州は「もういいよ」って言ってるけど、日本の方が「まあだだよ」ってことか。
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ま、とりあえず現実的なのは国内旅行だよな。もうすぐ「県またぎ」がOKみたいだし。
去年の東南アジア旅行の話だけじゃなく、もう少し“新鮮”な今年の国内旅行ネタを、梅雨明けの
8月頃にはこのブログに書けるようなりたいもんだ。もちろん、それには「第二波」がないことが
大前提になるわけだが・・・。

 


# by tohoiwanya2 | 2020-06-17 00:06 | 海外あれこれ | Comments(6)
2020年 06月 15日

バンコクで、そして日本で食ったもの

そろそろまた昨年のラオス・タイ旅行ネタに取りかかるか。ラオスネタはおおむね
書き終わったはずだから主にタイネタになるけど、まずはお気楽食い物ネタでいこう。

昨年のラオス・タイ旅行、最後のバンコクではホント大したことしてない。
せいぜい近場のカムティエン・ハウス見に行ったり、ルンピニー公園でオオトカゲ見たり、
薬屋でヤードム買ったりくらいで、主目的は帰国前の休養。

しかし、そんな休息とマッサージの日々でもメシだけは食う。
本日はまだご紹介してなかった、バンコクで食ったものをまとめてご紹介しよう。最後に
ちょっと変わり種があるけどね。

まずはどの町でも食うタイラーメン=クイッティアオ。ホテルがあったソイ22の屋台のもの。
この時はもう「唐辛子+ナンプラー+砂糖」という調味料を加えることにすっかり慣れてたから
この時もそうやって食った。
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晩飯は屋台じゃなく普通のメシ屋で食おうと思って、同じソイ22のホテル正面にあった
レストランに入った。さすがに屋台よりメニューが豊富で。試しにシーフードリゾット
みたいなヤツを注文。まさに海鮮おじやという感じ。激辛でもなく、胃にやさしい。
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バンコクでは昼は屋台メシ、夜はこの店に行くって日が2日続いた。
次の日にカムティエン・ハウス見た帰りに食った屋台メシはおなじみガパオ・ライス。
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狭い歩道でメシ食ってるすぐワキをバイクやトゥクトゥクや歩行者が行き交う屋台路上メシも
今やすっかり慣れてしまったワタス。こういうのがタイ気分だ。
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で、夜は前日に海鮮おじや食った店で、こんどはヌードル。
まぁ感じとしてはトムヤム・ラーメンで、麺はハルサメ麺みたいなヤツ。これも美味しかった。
こういうのは屋台のラーメン屋じゃ食えない。
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夜食でこんなものも食った。「サーモンのラーブ」ってことはシャケのラープか。
フィッシュラープがあるんだからシャケのがあってもおかしくない。ツナマヨなんかと違って
こういうおにぎりはタイじゃないと食えない。
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でもね、いざ食ってみるとラープっぽい辛スッパさがあまりなくてやや拍子抜け。
普通の塩ジャケと大差なかったけどなぁ・・・。

そこで・・・というわけじゃないけど、こんなモノをバンコクのスーパーで買った。
ラープの素。これは日本じゃ買えない。帰国したら作ってみよう。
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このラープの素、恐ろしいことに味の素が作ってる。味の素のタイ法人ってことだろうな。
それぞれの国の食生活に密着したマーケティングってやつか。
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で、帰国後に作ってみたのがこれ。牛肉とパクチー、あと長ネギとタマネギを入れてみた。
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結果的にこれはイマイチだった。オリジナルに比べて見た目も悪いでしょ(笑)。
タマネギはない方がいい。それと、このラープの素をひと袋ぜんぶ入れちゃうと、これがもう
激烈に辛スッパい。食い始めたとたんに汗ダクダクで、食い終わる頃にはシャワー浴びた方が
いいってくらいのすさまじい状態。汗っかきの人がこれを食うのは要注意。

この後数回試して(3袋くらい買ってきたのだ)、結局牛肉+パクチーだけを材料にして、
ラープの素は半分使うというのが一番イイ感じなのではないかという結論に達した。モヤシを
入れると水っぽくなるから、やっぱ野菜はパクチーだけでいいように思う。

ラープ独特の炒ったモチ米の歯触りもあって、夏のビールのつまみには最適だけど、
ラープの素半分しか使わなくても汗ダクダクになるから、絞ったタオルをお手元に置いて
食った方がいいかもしれませんです(笑)。

 


# by tohoiwanya2 | 2020-06-15 00:01 | 2019.08 ラオス・タイ旅行続き | Comments(4)
2020年 06月 13日

若かりしいわんやの黒歴史 その9

黒い一人旅は続く。

前の記事でいわんや一人旅の「変化の兆し」みたいな話を書いた。ここから徐々に人並の、
ちったぁマシな旅になることを予感させる内容だったし、書き手も実はそういう方向に
もっていくつもりで考えていた。

だが、三宅島一人旅を思い出してしてしまったのだ。あのヒドい旅を。
思い出した以上は書かねばならぬ。あーできることなら思い出さずにいたかった(笑)。
あの三宅島旅行は見事なまでの、完膚なきまでの失敗だったからね。

あれは1983年の夏。大学卒業して、例のブラック企業勤務して2年目だ。トングでパンツを
干した、あの大阪出張と同じ夏ってことになる。

あの時なぜか「三宅島に行こう」と意味もなくバクゼンと考えたんだよなぁ・・。
大島でも八丈島でもなく、なぜか三宅島。当然海があるはずだから、砂浜で寝っころがって
のんびり日焼けしよう。佐渡島の実績もあるから、行きゃ何とかなるだろうとタカをくくってた。
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竹芝桟橋から夜の東海汽船で出発。現在は21:30出航で5:00に三宅島着っていう時刻表だけど、
当時もそんな感じだったと思う。朝早〜〜い三宅島の三池港について・・店はどこも開いてないし
周辺には何もない。眠いからとりあえず砂浜に行って少し朝寝しようか・・。

しかしいわんやはあまりにも三宅島のことを知らなさすぎた。
三宅島には海水浴スポットもあるにはあるけど、ビーチリゾートって感じの島じゃないんだよね。
何しろ火山島だ。三池港からトボトボ歩いてたら何やら火口と溶岩の跡があった。

景色は素晴らしかった。火口に登ると、そこから海まで溶岩が固まった黒い斜面が一望に見渡せる。
雄大な景色。しかしいくらバカすぎるいわんやでも、この黒い溶岩台地にビニールシート敷いて
裸で寝っ転がるのは場違いすぎだと思う程度の正気はあった。のんびり日焼けという当初の目標が
予想とは違った三宅島の大自然を前にして急速にシボんでいく。
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今にして思えばあれは三宅島の「ひょうたん山」という場所だったんだと思われる。
しかしいくら雄大な景色でも、そこでジッとしてるわけにもいかん。どこかに海水浴できるような
場所がないかと思って朝イチの村営バスで島をグルッと回ってみることにした。

ところがバスに乗るとたちまち眠ってしまった(笑)。船で眠れなかったからなぁ・・。
結局寝ボケまなこで島をぐるっと一周して、元の三池港に戻ってきただけ。バッカじゃねぇの?
時刻はまだ朝と呼ぶべき時間帯。9時頃だったんじゃなかったかなぁ?どうしよう・・?



       だめだ・・帰ろう・・

すごく早く結論が出た。この旅は失敗。下調べもせず計画がズサンすぎ。
仮にこの島で夜までウロウロしても、佐渡島の時みたいに野宿するのはもう無理だよ。
素直に敗北を認め、東京に戻ることにした。ブラック企業でゲロゲロ働かされてたせいか、
学生時代に比べて心身ともに明らかに疲れてたな。

そのまま三宅島空港に移動し、調布飛行場行き飛行機で(んまぁゼイタク)戻ってきた。
結局三宅島滞在はせいぜい4〜5時間くらいだったはず。昨夜竹芝桟橋を発ち、翌日の昼には
もう調布飛行場に戻ってるなんて、何というバカな一人旅か。

その後、どうやって新宿まで戻ったかよく覚えてない。
でもまぁ飛行場から調布駅までバスに乗り、そこから京王線で戻ったはずなんだよね。
新宿に着いてもまだ真っ昼間。8月だからクソ暑い。

このままウチ帰るのも(まだ親元暮らしだったはず)戻るのもバカバカしすぎる。新宿で
何かしようか・・?で、すごく長い映画を観ることにした。映画館なら冷房も効いてるし。
その時見たのが「東京裁判」という映画。4時間37分ある。
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映画はとても立派な内容のもので、ドキュメンタリー映画の傑作だと今でも思う。
この映画の公開年を調べれば、このおバカな三宅島旅行が行われたのが1983年だというのが
確認できるわけ。映画館を出た時は夕方で、ウチ帰ったら夜だったはずだ。

昨夜21時半の船に乗るためにウチを出て、東海汽船で三宅島に行き、飛行機で調布飛行場に戻り、
新宿で長〜〜い映画を見て、今こうして再び自分チにいる・・何のために三宅島行ったのだ?
雄大な黒い溶岩斜面を見たのが遠い昔のように思えた。社会人になってもこの程度。ああひどい。

「男の一人旅は予定を決めずに行くのがカッコいいぜ」なんていう、いわんやのバカな幻想を
見事に打ち砕いた三宅島と言うべきか。少しは下調べしろバカ。そのうえ社会人になっても
ホテルや民宿に泊るという発想がゼロってところも我ながら呆れる。

しかし、数時間とはいえ行ったことがあるだけに、三宅島が2000年に大噴火して全島民が
避難した時はやっぱ心配だったよ。ニュースで「阿古地区で被害が・・」なんて聞くと
「阿古って、むかしバスで通った!」なんて記憶がよみがえるからね。
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今は島民もトックに島に帰ってるけど、あの噴火は現在も「継続中」ということになってて、
島の中央部は今も立入禁止。どんな風になったのかなぁ?三宅島。あの時はタッタ数時間しか
滞在しなくてごめんね。でも伊豆諸島の中で唯一行ったことあるだけに、三宅島に対して
特別な思いだけはあるんだよ、今でも。

 


# by tohoiwanya2 | 2020-06-13 00:05 | むかし話 | Comments(0)
2020年 06月 11日

若かりしいわんやの黒歴史 その8

さて黒歴史行くか。別名「黒い旅行」シリーズ。ちょっと松本清張っぽい(笑)。

いいオッサンになって東南アジア一人旅したり、海外出張したりしてるから、時には
「いわんやさんは旅慣れてますね」なんてヒトから言われることがある。

そりゃまぁ20代の頃よりは今の方が大幅に旅慣れたよ。それは確かだ。でも自分の中には
佐渡島大阪でのミジメでヒドい一人旅の記憶があるから、旅慣れてるなんて言われると
穴掘って入りたくなるのも事実なのである。
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でもやっぱりヒトは徐々に成長する。成長という言葉が適切でないとしても、少なくとも
変化はする。大学(たぶん)3年の時の一人旅では明らかに変化の兆しが見られる。
この時は夏休みではなく冬、後期試験が終わってすぐの3月頃に行ったはずだ。

この時のバクゼンとした目標は「雪深いトコに行きてぇ」という、例によってバカな目標(笑)。
新宿から夜行急行アルプスほにゃ号という(何号だか覚えてない)夜行列車に乗り、長野県の
南小谷で大糸線に乗り換え、さぞかし雪深いであろう日本海側の糸魚川まで行ってみるという
野心的な計画だった。糸魚川の後は決めてなかったんだけどね(笑)。
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アルプスほにゃ号ではたまたま隣の席に同年代の女性が座った。しかし知らない女の人と
車中で楽しく話をするほどの柔軟性は当時のいわんやにはまだないから、だまーって座り、
駅で買ったポテトチップをだまーって食った。ポテトチップを食ってる時、隣の女性が
こっちを気にしてるかな?と思ったけど、だまーって食い続け、やがて少し寝た。

目が覚めるともう長野県内。朝焼けに映える大町から白馬あたりにかけての眺望はそれはもう
美しくて、うっとり眺めてたら突然隣の女性から「召し上がります?」と声をかけられた。

見ると、目を覚ました隣席の彼女がキャンディの袋を差し出してる。
「あ・・あ、ありがとうございます」と言って1個もらったけど、いわんやはすでに瞬間的に
反省していた、というより恥じ入ってた。それも激しく。

そうか、昨夜オレがポテトチップ食ってる時に彼女がこっちを気にしてるように見えたのは
たぶん彼女も少しお腹すいてたんだよ。ああ何であの時「食べません?」と言わなかったのだ!
オレはバカだ。クズだ、鬼畜だ。しかもその彼女から自分はアメもらって舐めてやがる・・
あああああオレって最低、いや最低以下。ゴキブリのフンほどの価値もないオレ。

あの時の自己嫌悪は大変なものだった。しかもそれがジワジワじゃなく瞬時にだからね。
この「アルプスほにゃ号事件」はいわんやのその後にけっこう影響を与えていて、早くも
数日後にはその反省効果が発揮されることになる。

南小谷から大糸線に乗り換えて糸魚川という町まで行ってみたけど、糸魚川は思ったほどは
雪深くなくて、ちょっとがっかり。さらに雪深そうな場所を求め、列車を乗り継いで富山に
行ってみた。黒部立山アルペンルートの途中まで行ってみっかと思ったわけだ。
その夜は富山の24時間サウナ泊。
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翌日は富山からローカル線に乗って立山まで行き(その先に立山黒部アルペンルートがあるけど
当然冬季で閉鎖中)、一応当初の目標通り雪深い風景だけは満喫。さらにその翌日は金沢に行って
兼六園とか初めて見学したわけ。そのまた翌日、金沢から北陸本線で京都に行ってみた。
(その間の宿泊はぜんぶ24時間サウナだったはず)

その北陸本線の車中でまた同年代の女性と同じボックスに乗り合わせた。今度は二人連れだ。
数日前にアルプスほにゃ号で激しく反省しただけに、この時は対応が早かった(笑)。
持ってたロッテクールミントガムをいわんやの方から「食べます?」と二人に差し出した。

そこから話がはずみ(彼女たちも大学生だった)、それどころか彼女たちが持ってた
二人分の駅弁を少しずつわけてもらって、かえって申し訳なかったくらいだけど、数日前に
アルプスほにゃ号で感じたような自己嫌悪は感じることなく、京都まで楽しく過ごせた。

一人旅って、切符買ったり道を尋ねたりする以外、本来コミュニケーションを必要としない。
これまで書いた佐渡島や甲子園観戦の一人旅では、いわんやはかなりオドオドして、でも
そういう状態であるのを人に悟られまいと警戒オーラを放射して、他人とコミュニケーション
どころか、とにかくだまーっていたはずなのだ。

しかし「アルプスほにゃ号事件」と、その数日後の北陸本線での出来事でいわんやは学んだ。
知らない人と接することで旅は楽しくなることもある・・という教訓を、だ。
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この教訓は後年のいわんやの一人旅にもずっと適用され続けている。
すっかりジジイ化した今じゃ海外一人旅で知らない人に話しかけたり、かけられたりするのが
楽しいと思うようになったけど(タカられた時は別)、そういういわんやに変化する
キッカケがたぶんこの時だったと思うんだよなぁ。

言い方を変えれば「いわんやがチャラ男になったきっかけ」といえるかもしれんが(笑)。
でも、どうせなら、アルプスほにゃ号に乗った時からチャラ男でいたかった・・・。

(本日使用の画像も著作権フリー画像をモノクロ化して使ってるけど、急行アルプスの
 写真だけは「とれいんずぱびりおん」というところから拝借しております)
 
 


# by tohoiwanya2 | 2020-06-11 00:03 | むかし話 | Comments(2)
2020年 06月 09日

府中市・小さな旅【多摩霊園編6】

若い人はご存知ないだろうが、大昔、岡田嘉子さんという女優さんがいた。
1902年生まれっていうから、うちのオフクロより遥かに年上の、サイレント映画時代の女優さん。

この人は1937年に恋人とソ連に亡命した。むしろそれで有名になったんじゃないかな?
オフクロも岡田嘉子っていうと「ソ連に逃避行した人」で知ってたみたい。1975年に日本に帰国して
その時はけっこう騒がれたけど、彼女の出演作なんて当然見たことはない。
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それなのに岡田嘉子さんのお墓と聞くと見学したくなる。なぜか?話すと長くなるんだけど、
極力かいつまんで書こう。いわんやは一度だけ、岡田嘉子さんの実物を見たことがあるんだよ。
それが大変思い出深い夜のことだったので、その記憶と一緒になって忘れ難いのだ。

高校に入った頃、いわんやは自分の「正統派読書経験」の少なさにガクゼンとした時期がある。
知的な少年少女ならトックに読んでそうな名作文学をほとんど読んでない。しかし高校生にも
なってから慌てて「十五少年漂流記」や「海底二万里」とか読んでも遅れは取り戻せないだろ。
(この二作はオトコノコなら大抵は読むらしい)

そこで「ヘン路線」でいくことにした。みんなが読みそうもない本を読むことにしたのだ。
正統派に乗り遅れたなら、非正統路線で差別化を図るしかない。ああ・・あの頃から
いわんやの考えることはすでに立派にバカだった。

犯罪小説と思って読んだジャン・ジュネの「泥棒日記」あたりをきっかけに、主にフランス系の、
普通の高校生があまり読みそうもない本ばかり読んだ。モリエールの古い戯曲も何冊か読んだ。
そんなに面白くなかったけど、ヒトと違う本を読むことが重要だったのだ(←大バカ)。

そんな時期、コメディ・フランセーズの来日公演があったんだよね。上演作品の中にはいわんやが
読んだモリエールの「守銭奴」も含まれてる。せっかく原作を読んだんだからその実演も見とくべき
じゃないか?正統派路線じゃどうせ追いつかないんだから、この際「ヘン路線」を貫いてコメディ・
フランセーズの舞台ってのに行ってみようか。

「守銭奴」公演の場所は国立劇場。一番安い席でも高校生にとっちゃクソ高かったけど、
チケットをムリして買い、土曜の学校が終わったあと制服着たまま行きましたよ。夜の国立劇場へ。
もちろん生まれて初めて行く場所だ。同時通訳イヤホンなんて高額サービスに手が出るはずもなく、
客席で文庫本の「守銭奴」のページめくりながら観ましたよ、フランス語古典演劇を。

日本広しといえども、1976年のコメディ・フランセーズ来日公演を自費で、国立劇場で観た
高校生が一体何人いるだろうか?ものすごく少なのいのは確実で、若いころにヘン路線を
突っ走ってると、老人になってからこういう自慢だけはできるわけだ(笑)。

その国立劇場のロビーでいわんやは岡田嘉子さんを見かけたのだ。
当時のいわんやにとって彼女は「昔ソ連に亡命して、また帰国した大昔の女優」ってくらいの
認識しかなかったけど、テレビや新聞で顔は知ってた。すげー、さすが国立劇場、こんな
有名な人も来てる・・と思った。立派そうな紳士たちに囲まれてニコやかに談笑してたけど
それはもう上品でキレイなおばあさんなんでビックリした。(下の画像はNHKから拝借)
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コメディ・フランセーズ、初めての国立劇場、岡田嘉子・・あの夜の一連の記憶はバカ高校生だった
いわんやにとっちゃ、トツゼン上流階級のサロンに迷い込んだような思い出のセットになって
深く刻み込まれた。その岡田嘉子さんのお墓となれば見たい(やっとお墓に話がつながった)。

彼女は1972年に日本に帰国したあと、1986年にふたたびソ連に戻り、1992年にそこで亡くなった。
お墓は「山本家」となってるけど、これは岡田嘉子さんの養女の嫁ぎ先の苗字だそうで、以前は
岡田家之墓という石が置かれてたらしい。
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ワキにこんな石がある。「悔いなき命をひとすじに」って書いてある。
一緒に彫られた滝口っていう人は一緒にソ連に駆け落ち亡命した相手ではなく、その後ソ連時代に
結婚した相手らしいけど、彼女が帰国した時はすでに亡くなってた。
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彼女が女優として活躍した時期も、ソ連逃避行もいわんやが生まれるはるか前。
本来なら「ソ連から帰国した昔の女優さん」ってだけの存在のはずだけど、高校生時代の忘れ難い
“あの夜”の思い出と一体化した岡田嘉子さんだけに、これはもう書かずにはいられないわけですよ。

今日は岡田嘉子さんのお墓だけで一つ記事になっちまった。お長くなりました。
・・著名人お墓紹介っていうより、半分くらい「黒歴史」っぽかったかも(笑)。

 


# by tohoiwanya2 | 2020-06-09 00:08 | むかし話 | Comments(0)