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2020年 06月 07日
せっかく東南アジア旅行の思い出を書いたのに、また多磨霊園に。 だってさー、最近ニュースで見るGOTOキャンペーンとやらが7月末か8月頃って言われてる ことから考えると、8月にはとりあえず国内旅行ならできるようになる・・と想定できる。 ってことはあと約2か月先・・それまで去年の旅行ネタがなくならないようにしようとすると、 やっぱ多磨霊園や黒歴史にもうちょっと活躍してもらわねばならんのだよ(笑)。 ![]() 多摩霊園には俳優とか音楽家とか映画監督とか、そういう方面で活躍された方のお墓は比較的 数が少ないんだけど、その中から誰もが知るお二人の墓をご紹介しよう。 まず2006年に亡くなられた女優の岸田今日子さん。 ![]() ご存知の方も多いだろうけど、岸田今日子の父は劇作家の岸田國士、母は翻訳家の岸田秋子、 姉は童話作家の岸田衿子。「岸田家」ってとにかくスゴいんだよ(ただし、こないだ書いた 岸田劉生とのつながりはないようだ)。 その岸田家の墓に、岸田家の一人として岸田今日子さんも眠っておられる。 墓石には何も書かれてなくて、これだけじゃ岸田家の墓と気づきようがないシンプルさ。 ![]() ワキにある墓誌を見ると岸田今日子さんの名前が発見できる。ってことは、 岸田今日子っていうのは本名だったわけだ。 ![]() いわんやくらいの年代で岸田今日子さんというと、「ムーミン」の吹き替えが懐かしいよねぇ。 中学生の頃だったかなぁ?この人は声優やナレーターとしても超一流だった。 ![]() ショーケンや水谷豊と共演した「傷だらけの天使」のナゾの女ボス役も忘れがたいなぁ。 「おさむちゃん?」っていう、あの喋り方はこの人ならではだった。あのドラマで共演してた 岸田森が岸田今日子の従弟だったって今回初めて知ったよ。岸田一族スゴすぎ。 (ムーミン持った画像はWendy-Netにあったもの、その上のヤツはNHKから拝借) さて、自転車コイで多磨霊園をもうちょっと走ろう。もう一人有名な声優さんのお墓を見たい。 それはこれ。有名な声優で「山田家」という字を見ただけでピンときた方も多いだろう。 「ふ~じ~こちゃ~ん♡」「あっらー銭形のとっつぁーん」というあの声で日本アニメ史に 不滅の名を残すルパン三世・山田康雄さんはここに眠ってらっしゃる。 ![]() 調べると、TVアニメで「ルパン三世」が放送されたのは1971年。いわんやは中学1年だ。 「オレの名は ルパン三世♬」で始まる冒頭の軽妙な登場人物紹介ナレーション、バックに流れる 英語のテーマソング。とにかく新鮮だった。この人は見た目までルパンそのものってことでも 有名だよね(下の画像もNHKから拝借)。 ![]() 「ルパン」と聞いて多くの日本人が思い浮かべるのはアルセーヌ・ルパンではなくルパン三世。 そのくらいあのアニメが人気を博した点で、山田康雄さんの貢献は計り知れないと思うのだ。 ![]() しかし洋画ファンいわんやとしては「クリント・イーストウッドといやぁ山田康雄」ってことにも 触れておきたい。こんな動画を発見したから貼り付けちゃおうではないか。カッコよすぎるぜ。 いわんやの推測ではこの名台詞、台本には「オマエの頭なんて一発で・・」と書かれてたんじゃ ないかと思うんだよね。それを「おまえのドタマなんて・・」って言い換えたのは山田康雄さんの アドリブだったのでは?そんな気がするんだけどなー。 お墓に名前が彫られてる。岸田今日子さん同様、山田康雄っていうのも本名だったんだね。 ![]() パリのモンパルナス墓地を歩いた時もそうだったけど、俳優や声優さんのお墓を見てると、 ちょっとしんみりしちゃうねぇ。個人的には存じ上げないけど、その人の元気だった頃の 活躍をテレビや映画でたーくさん見てるだけにねぇ・・・。 #
by tohoiwanya2
| 2020-06-07 00:04
| さんぽ 2020
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2020年 06月 05日
このままじゃココは「府中散歩ブログ」と思われてしまかねないので、チョー久しぶりに 海外ネタを書こう。ちょうどラオスネタがほぼ書き終わって、あとはタイネタか・・と 思いながら写真を整理してて、コーン島のちょっとした出来事を思い出したから書こう。 みなさん、コロナさえなければここは海外旅行ブログになる予定だったんですよ(笑)。 メコン川をボートで渡り、おんぼろ自転車で泥道をサイクリングし、水牛のワキを通って 巨大滝を眺めに行き、高床式の家の下でスコールの雨宿り・・・ ・・今思い返してもコーン島で過ごした二泊三日間の記憶はまさに別世界への旅。 「ああ、オレはいま別世界にいるんだよなぁ・・」としみじみ感慨にふけったことが 何度かある。たとえば・・ コーン島に到着した日の夕方、ホテルのテラスからぼんやり夕暮れを眺めてた。 昨夜泊ったパクセーもしょぼい地方都市って感じだったけど、コーン島に比べりゃ 大都会だった。 ![]() 近くからコドモの歓声が聞こえてきた。 船着き場にある、四角い浮き桟橋みたいな所で地元の男の子たちがサッカーやってんだね。 雨季のメコン川だから水量豊富で流れは速い。川に落ちたら危ないなぁ・・と思った。 ![]() しかしそんな心配は地元の子供たちにはカンケーなかった。 ガキどもはやがて次々と自ら川に飛び込み始めるではないか。うわあ大丈夫かよ。 そこらの小川じゃない、大河メコン川だぞ。 子供が流されないかハラハラしたけど地元のガキにとっちゃメコン川なんて、泳ぎ慣れた 「流れるプール」のはずで、心配する方がおかしいんだろうな。ああ・・東京なんかとは 全然違う別世界に、いまオレはいるんじゃのう・・。 ![]() そんな夕暮れも過ぎて夜。コーン島の夜は早い。レストラン周辺以外は真っ暗で、 晩メシ食って、缶ビール買ったらもう外でやることなんてない。 ![]() 従ってわりと早寝になる。昼間の泥道サイクリングで疲れてるし、部屋は冷房で快適だし 缶ビール飲んで頭はほどよくトロリとしている。そりゃ早寝になるわさ。秘境の夜なんて それはもう静かなもんで、涼しい部屋でウトウトと入眠していく快さ・・・ ・・・するとだ。 静けさをつんざくものすごい大音響で起こされた。人間が出す騒音ではない。 近所のノライヌたちが一斉に遠吠え大合唱の野外ライブをオッ始めるわけ。船着き場周辺の ノライヌの数がすごいことはすでに書いた。このゲストハウスはそのノライヌ軍団の真ん中に あるようなもんで、周囲のイヌどもが一斉に遠吠えするとどうなるか想像してほしい。 もうね、「死人も目覚める」という大げさな表現を使いたくなるくらい。 いわんやの知る夜の遠吠えって、どこかで1匹鳴き、それに呼応してアッチでも1匹、また こっちでも・・感じだったよ?たとえて言うなら最初フルートが、次にクラリネットが ・・って感じでメロディー?を“受け渡し”ていくような「夜のBGM」だった。 しかしコーン島の遠吠え大合唱はそういうんじゃないの。いきなりトゥッティ(総奏)で ドギャーーーン!と始まる。外でイヌの大虐殺でも始まったのか?と思ったくらいの、 すさまじい大絶叫。音楽でこれに近い例としてすぐ思いつくのはチャイコフスキーの 交響曲第4番、第4楽章の出だしかな。 しかしこのノライヌ合唱団の遠吠えライブは毎晩のことみたいで、一晩に2回くらいある。 たぶん地元じゃ日常的なことなんだろう。時には走りながらやることもあって、音源が 移動するライブ合唱は音響効果的に聴きごたえがあった(下の写真は昼間の合唱団員たち)。 ![]() 日本じゃイヌの遠吠えって聞かなくなったよねー。声帯除去手術が普及したせい? それだけにコーン島ワンコ大集団による夜の遠吠え大合唱には最初ホントにたまげた。 イヌって遠吠えするイキモノだったってことを思い出させる、秘境の夜だった。コーン島には都会人が忘れ去ったものがある・・なんて書き方はいわんやの好みではないが 還暦ジジイになって、あの秘境の島で数日を過ごせたことが今となってはホントに貴重。 「行けるうちに行っといてよかった」とつくづく思う、今後の生涯でコーン島以上の 秘境に行くことなんて、もうないんじゃないかと思うよ。 #
by tohoiwanya2
| 2020-06-05 00:29
| 2019.08 ラオス・タイ旅行続き
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2020年 06月 03日
海外に行けない欲求不満いわんやの多摩霊園著名人お墓見学シリーズ。 今日はアートな雰囲気で行くぞ。二人の有名な画家のお墓をご紹介するのだ。 この二人の絵を目にしないまま学校生活を全うすることは不可能じゃないか?ってくらいで、 いわんやも教科書で見たような気がするけど、その前にすでに知ってたんじゃないかなぁ? その一人が洋画家の梅原龍三郎。 ![]() 奔放というか豪快というか、画家もこのくらいになるともはや目が常人とは違ってる。 梅原は若い頃にパリでルノワールの指導を受けたこともあるんだってね。 (下の富士山図はヤフオクから拾ったもの) ![]() この人は長生きしたんだねぇ。満97歳で亡くなってる。ある程度のトシになったら公的な役職を すべて退いて欧州と日本を行き来しながら自由な創作活動を続けたらしい。文化勲章をはじめ フランスからも勲章もらってるくらいだし、「死後評価された」んじゃなく、生前に功なり名遂げ、 大画家としての名誉に包まれて亡くなったんだから幸せな芸術家人生だと思う。 梅原龍三郎のお墓。奥さんも一緒。墓石全面使って大きな字で彫ってあるあたりは 絵と同じように大胆奔放なタッチって感じがする。 ![]() もう一人の有名な画家は梅原龍三郎より時代的には前の人で、活躍したのは大正時代。 この自画像をみればすぐわかるかな。個人的にはこの自画像は油絵のタッチが力強いし こっちを見ている視線の強さにも圧倒されて、何度見ても傑作だなぁと感心する。 ![]() 自画像を知らなくても、こっちは誰でも知ってる。「麗子像」で知られる岸田劉生のお墓も 多摩霊園にあるのである。 ![]() この人は38歳という若さで亡くなってる。しかしその画才は大変なものだったようで、 同時代の誰もが認める存在だったみたいだ。この絵なんかも素晴らしいよなぁ。 (上の麗子像と下の画像は大阪市立美術館の岸田劉生展のサイトから拝借)。 ![]() しかし岸田劉生といえば何といっても麗子像。この絵を小学生や中学生の時に美術の教科書で見て トラウマになった人も多いだろう。彼は麗子像を何枚も描いてるけど、下のヤツなんてほとんど 妖怪みたい(寒山拾得の絵を参考にして描いたらしい。画像はpinterestで拾ったもの)。 ![]() そんな岸田劉生のお墓はこれ。梅原龍三郎と違って、すごく小さくて質素。 岸田家のお墓の中にはデッカい木がニョキッと生えてて、その木の陰に隠れるようにお墓がある。 昔の芸術家にありがちだけど、岸田劉生も借金して古画を買い込むワ、酒はガンガン飲むワで家庭人っていうのとはほど遠い人だったみたい。 ![]() ただ、興味深いのはモデルになった娘の麗子との関係だ。 麗子も後に絵を描いたようで、梅原龍三郎に師事したこともあるらしい。彼女自身による こんな絵も残ってる。父親にタッチが似てるよね。家庭的とは言い難い人だった岸田劉生も 麗子をモデルにした作品数の多さから、娘のことは溺愛してたことが伺える。一方下の絵を 見ると、麗子にとっても岸田劉生は「アタシにはやさしいお父さん」だったのかも。 ![]() そのお父さんのおかげで、日本近代絵画史上最も有名なモデルとなった岸田麗子。 彼女もこの岸田家のお墓に一緒に眠っているらしいという情報も読んだ。でも墓誌みたいなのが ないから、正確なところはよくわからない・・・。 ![]() 5月の多摩霊園(写真を撮ったのは5月だったのだ)。 二人の偉大な画家の墓を、今日も初夏の日射しが静かに照らしているのであった・・。 ・・・格調高いエンディングだのう。 (いわんや撮影以外の画像で特に説明のないものはぜんぶWikipediaから拝借しております) #
by tohoiwanya2
| 2020-06-03 00:02
| さんぽ 2020
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2020年 06月 01日
犯罪歴まで公表し始めた黒旅行シリーズは一休みして、もう少し安心して読める(笑) 多摩霊園お墓めぐりまいりましょう。新たな旅行ネタを仕入れられるのがいつになるか 見通せない状況で、多磨霊園という存在はネタの採取場所として貴重だ。本日は二人の 漫画家のお墓をご紹介したいと思う。 まず一人め。この人はかなり昔の人だけどとても有名。 それは彼が生み出した「のらくろ」というキャラクターが国民的人気を獲得したからだ。 作者は田河水泡。1899年(明治32年)生まれで1989年死去ってことは享年90歳。 明治生まれの人としてはたいへん長生きした人だよねぇ。 ![]() いくらジジイのいわんやでも「のらくろ」は読んでねぇだろ・・と思うだろうけど、恐ろしいことに 読んでるの。いわんやが小学生の時になぜかオヤジが「戦時漫画の復刻版」みたいな本を買ってきた。 漫画なら全てむさぼるように読む年頃だから、それもむさぼるように読んだ。だから「のらくろ」は もちろん「ロボット三等兵」とか「敵中横断三百里」とか、ほとんど知られてない戦中マンガを 読んでるんだよ。あの本、今持ってたらけっこう値打ちモンだったかもなぁ。 その本に収録されてたエピソードはのらくろが酒保(こんな単語もその本で覚えたのだ)で おしるこを売る話。今でも覚えてるよ。子供心にもクラシックで、その分珍しい漫画だった。昔のマンガとしては斬新な作画技法が盛り込まれてたはずで、見開き2ページ使った大画面の モブシーンなんて、手塚治虫も参考にしたんじゃなかろうか、なんて思う。 (酒保(しゅほ)とは、軍隊の駐屯地(兵営)・施設・艦船内等に設けられ、主に軍人軍属たる下士官兵や同相当官を対象に 主に日用品・嗜好品を安価で提供していた売店(出典:Wikipedia)) その田河水泡さん、本名・高見澤仲太郎さんのお墓。 国民的人気漫画家となり、長生きし、今こうして自分が生み出した人気キャラクターに守られ眠る。 なんだかとってもステキなお墓だなぁ・・と思った。 ![]() 多摩霊園にはもう一人、国民的人気漫画家が眠っておられる。自転車コギコギして移動。 長谷川家・・・といえば誰でもわかる。「サザエさん」や「いじわるばあさん」で知られる 長谷川町子さんのお墓がここなのである。 ![]() サザエさんは長寿アニメにもなってるくらいで国民的人気漫画だけど、実際に長谷川町子が描いた 新聞マンガを読んだ人はだんだん少なくなってるんだろうなぁ。 いわんや家は朝日新聞とってなかったので、新聞でサザエさんを読んだ記憶は少ない。でもなぜか 「いじわるばあさん」の単行本は3冊くらい持ってた。善根とか感興とか、そんなムズカシい言葉も 小学生の時に「いじわるばあさん」で覚えたのだ(笑)。個人的には長谷川町子さんっていうと 「いじわるばあさん」だなぁ。 ![]() よーく見ると墓石の中央に十字架が刻まれてる。 知らなかったけど、長谷川町子のお母さんが熱心なクリスチャンだったそうで、娘の町子も クリスチャン。 ![]() さらに、これまた知らなかったけど、実は長谷川町子って田河水泡の弟子だったんだと。 長谷川町子が最初マスコミに紹介された時も田河水泡の推しがあったようで、こんな記事も残ってる。 ![]() 「同じ漫画家のお墓だから」っていうんで一つ記事にしたんだけど、実はこの二人はレッキとした 師弟関係だったと。いやー・・多摩霊園めぐりしてるといろいろ勉強になるのう。 (本日使用のお墓以外の画像、長谷川町子の古い記事はWikipedia、のらくろやいじわるばあさん 等はぜんぶAmazonからでござんす) #
by tohoiwanya2
| 2020-06-01 00:01
| さんぽ 2020
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2020年 05月 30日
太古の昔の、学生時代の黒い旅行シリーズ。 何しろ40年以上前のことなんだから、細かいことまで詳細に覚えてるわけがない。「たしかコウだった」という記憶に基づいて書かざるを得ない。 しかし大学2年の夏に行った大阪・兵庫旅行の日付だけは極めて正確にわかる。 鉄道ファンには有名な「大垣夜行」に乗って大阪に着いたのは1979年8月16日だ。 なぜこんなにハッキリわかるのか?それはこの日にある有名なデキゴトがあり、 いわんやはそのデキゴトとちょっとした接点があるからだ。 この時のバクゼンとした旅の目標は「甲子園で高校野球見たいな」というもの。 数年前までは千葉県で高校生だったいわんや。高校野球に対する関心も人並に持ってた。 一度くらいコウシエンで生観戦したいじゃん?そこで夜行列車に乗って見に行ったわけ。 1979年8月16日早朝、大垣で乗り換えたいわんやはまず一度大阪で下車し、新今宮から 通天閣まで歩いた。新今宮では職安に集う日雇い人足のオッサンの多さに心底ブッたまげ、 通天閣周辺ではその異国的サイケデリックな風景にブッたまげた。とりあえずそこで 大阪名物「けつねうどん」を食って腹ごしらえし、再びJRに乗って甲子園へ。 ![]() 当時は(今でも?)高校野球の外野席は無料だったはずで、そこで初めてナマ観戦した。 中京商業とドコか(実は池田高校)の第3試合を見て、その次の第4試合を途中まで見て、 再び大阪に戻った。その夜大阪で泊まるところも決まってなかったからね。 夜、大阪でメシを食い、冷房を求めてパチンコ屋に入ったらラジオで野球放送をやってた。 この時間ならプロ野球中継か・・と思って聞いてると、信じ難いこと高校野球だ。えええ? ってことはさっき途中で出てきた第4試合まだやってんの?ウソだろ? この時いわんやが途中で出てきたのが、高校野球史上最もドラマティックな試合とされる 「簑島×星稜 延長18回の死闘」だったのである。だから日付は簡単に確認できる。 いわんやは球史に残る名試合を見るチャンスを途中で放棄して帰ってきちゃったわけだ。 途中まで淡々と進んでた試合がまさか球史に残るとはなぁ、お釈迦様でも気がつくめぇ。 ![]() この夜は大阪の24時間サウナで寝た。そして翌日、つまり金曜日(曜日が重要なのだ)。 また甲子園球場へ行った。この日はフンパツして一塁側のアルプススタンドに入ってみた。 内野席は有料で、250円くらいだったかなぁ(そういうのフンパツっていうのか?) その日はたまたま「浪商×広島商」という屈指の好カードがあった日。 地元大阪の人気校出場とあって甲子園は超満員。一塁側は広島商業の応援団で、なぜか いわんやも一緒にしゃもじ叩いて応援しましたですよ。しかし応援の甲斐もなく試合は 牛島=香川の超高校級バッテリーを擁する浪商が勝ったと記憶している。 その晩も大阪に戻ってサウナ泊。大阪自体は最初に通天閣見たくらいでロクに観光してない。 さてその翌日。土曜日だ。今日もまた甲子園・・はさすがに疲れたし、暑い。 さいわい伝説の一戦を途中まで見られたし(笑)、ドカベン香川のホームランも見たし、 今夜の夜行で東京帰ろうか、と思った。 大学2年だったいわんやは当時もう銀行に自分の口座を持ち、アルバイト代なんかを入れてた。 当然キャッシュカードも持ってた。大金持ち歩くのはコワいから、大阪の銀行で必要に応じて お金をおろしてたわけで、この時も最後の切符代をおろそうと思って銀行に向かった。 ・・だが土曜で、ATMは閉まっていた(当時はそうだったはずなんだよ)。 ぐわあああん!!ど、どうしよう。所持金は数千円くらいしかなかったはずで、東京までの 切符代にはまったく不足。しかしこの所持金ではATMが開く月曜まで大阪に滞在するのも 極めて困難だ。進退窮まったいわんや。どうするのだ? 結局、東京に(っていうか千葉県にあるウチに)帰ることにした。 大阪~大垣までの普通切符はかろうじて買えた。しかしそれによって所持金はさらに減り、残り1,000円もなかったんじゃないかなぁ?大垣駅で乗り換えの時、窓口に行って駅員に 正直にワケを話したら「東京着いたら家族に連絡しておカネ持ってきてもらいなさい」と 言われた。ああみっともない・・で、大垣で東京行きの夜行列車に乗り換えたわけだ。 ![]() この時はさすがに寝られなかったね。検札が来た時に説明してわかってもらえるだろうか? 見知らぬ近くの乗客にお金を借りるべきだろうか?いろんなこと考えて悶々として、とても 寝られるもんじゃない。 しかしこの時はなぜか一人一人切符をチェックする検札は来なかった。 悶々とするいわんやを乗せ、夜行列車は名古屋を越え、静岡、神奈川を過ぎ、そして・・あらら 着いちゃったよ東京まで。となると、そのまま総武線快速に乗り換え・・そして・・・ ・・・・・・・・・・・ 今はスイカやパスモの時代だから「キセル乗車」って言葉も死語かもしれない。しかしあの当時 学生はよくキセル乗車やったもんだ。いわんやにしても「何回キセルした?」と聞かれれば 「数えきれないほどやりました」と答えざるを得ない、しかし大垣から東京までなんていう 長距離のスーパーキセル乗車したのは後にも先にもこの時だけ。 まごうかたなき不正乗車。つまり犯罪。黒歴史にもホドがある。 ああごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! ![]() こうして自分の犯罪歴をネットでカミングアウトするのは我ながらジクジたる思いだけど 事実は事実。消してしまいたい41年前の黒い過去。しかし事実は消せない。 キセル乗車に時効ってあるのかな・・??しかしそんなものがあろうがなかろうが、 当時の国鉄にはこの場を借りて深く深く深くお詫び申し上げます。本当にごめんなさい。 (本日使用の画像もスコアボードのヤツ以外は例によって著作権フリー画像を“昔風”に モノクロ化して使用しております) #
by tohoiwanya2
| 2020-05-30 00:02
| むかし話
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