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2020年 05月 28日
黒歴史シリーズの続きいってみるか。 これまでは主にいわんやの駆け出し社会人時代のダメさ加減に焦点を当ててたけど、 今日はちょっと趣向を変えて若かりし頃の旅行について書きたい。 今でこそ旅ブログ書いてますなんて言ってるいわんやも、若い頃の旅行経験は多くない。 初めて海外行ったのがたしか28歳の時で、それまでは国内の3~4泊旅行程度がせいぜい。 旅行が嫌いだったわけではなく、おカネがなかったという理由が大きい。 しかし「若いうちに旅しないとダメだ」とか、「オトコの一人旅は予定決めずに行く方が カッコいい」みたいな、ミョーな思い込みだけは人一倍持ってた(笑)。 思い込みはあってもおカネはないから、あの当時の国内一人旅はヒドいのばっか。 ホテル宿泊なんて皆無。24時間サウナで寝られりゃオンの字で、あとは夜行列車とか 夜行バスで移動しながら寝たし、野宿もした。今日はその話をしよう。 最初の一人旅は大学1年の時の夏休みだから1978年。バクゼンとした行き先は佐渡島だった。 「あまり旅行したことない」ヤロウだから、この時までいわんやは「本州を出たことがない」 というのがいささかコンプレックス。本州を出て佐渡島に行ってみようと思ったわけだ。 (もっとも佐渡島って新潟県だから、行政区分上は本州を出たことにならんのだが) 1泊目は夜の上野駅から新潟に向かう上越線の夜行列車。出だしはイイ感じ。 新潟に着いたのが早朝で、そのまま佐渡汽船の乗り場に向かい、フェリーに乗った。 新潟から佐渡島の両津港までは2.5時間かかるんだよね。その間ほとんどはデッキの イスで寝てたと思う(夜行列車じゃキンチョウしてあまり眠れなかった)。 ![]() 両津からは佐渡島の西沿岸を北上して鷲崎までバスで行こうと思ってたけど、乗ったバスが 途中の入川どまり。このあと、いわんやが徒歩+粗大ゴミ置き場に捨てられた廃自転車で 人生最悪の脱水症状になりながら鷲崎に向かった経緯はこの記事にくわしい。 ま、とにかくいわんやは半死半生になって夕方鷲崎まで辿り着いたと思ってほしい。 野宿をしたのはこの鷲崎での夜のことで、ちゃんと野宿用に寝袋も持参してた。丘の上から 遠い海のイカ釣り漁船の灯りが見えたっけなぁ・・。 ![]() ・・でもね、寝袋ン中じゃ暑くて寝られないの。8月だからね。 しょうがないから寝袋を敷きブトン代わりにしてTシャツで寝ると蚊がワンワン寄って来る。 ますます寝られん。どこか涼しくて蚊の来ない場所はないか? そこでいわんやが目をつけたのは防波堤の先っちょ。海の中なら蚊は来ないべ? これが現在の鷲崎港の写真。おそらくこの短い方の防波堤の先まで荷物を持って行き、 そこに倒れるように寝たはずだ。もうとにかく疲れてたんだよ。 ![]() 蚊には悩まされなくなった。しかし試練は続く。夜中に雨が降ってきたのだ(笑)。 フタタビ寝ぼけマナコで起き上がり、何かの公共施設の(いわんやのオボロな記憶では 電報電話局だったような・・上の写真の郵便局かな?)屋根下で再び横になろうとしたら、 なぜか戸が開いた。中に狭い靴脱ぎ場があり、ズックやサンダルが何足も置いてあった。 もう疲れて眠くて何も考えられず、そのズックやサンダルの上に丸まって寝ましたよ。 雨には濡れず、戸を閉めれば蚊も入って来ない。野宿環境としてはこれまでで一番イイ。 何の建物だったか正確に覚えてないけど、あの時は本当にありがとうございました。 いわんや初の一人旅における、初の野宿ははこんな感じだったわけ。 この夜に比べれば、それ以降の2泊はずいぶんマシなものになった。 翌日は両津に戻ってレンタサイクル借りて姫崎灯台までコイだり、夜は「おけさ会館」で 佐渡おけさ見たり、一応観光めいたこともやって、夜は佐渡汽船待合室のベンチで寝た。 前夜の野宿に比べれば屋内の待合室のベンチはだいぶマシ。 そのまた翌日は夕方のフェリーで新潟に戻り、オールナイトの洋モノ成人映画館で寝た。 なぜか客席内に大きなソファが置いてあって、そこで寝られたから寝心地という点では この旅を通じて最も快適だった(早朝、掃除のオジサンに起こされた)。 そして翌日、こんどは昼間の上越線に乗り、東京に戻ってきたわけだ。当時はまだ 上越新幹線なんてないから上越線で、清水トンネルを長~い時間かけて抜けたっけ。 これが4泊5日間に及んだ、いわんやの初めての一人旅。![]() カメラ持ってなかったから写真記録は全くない。お土産も買わなかったから思い出となる 記念品もない。現地で誰かと知り合ったとか、そういう出会いも全くない。美しい佐渡の 景色の記憶と、野宿のツラさと「ホテルに泊まらなくても3~4泊の旅行ならできる」という 実績を作ったことだけが収穫といえるか。 こののち、いわんやはさらに何度か国内一人旅をする。でもさすがに鷲崎で過ごしたみたいな 野宿はその後してません、あの時ホンのちょっとだけ使った寝袋はその後使うことのないまま 友人にあげちゃった・・とさ。 (本日使用の画像、鷲崎港の写真はGoogle Map、それ以外は著作権フリー画像を “それらしく”モノクロ化したものざます) #
by tohoiwanya2
| 2020-05-28 00:03
| むかし話
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2020年 05月 26日
珍しく時事ネタ。 せっかく退職したいわんやに幽閉生活を強いる、憎きコロナについてだ。 久しぶりにエクセルでグラフ作っちまった。 こないだ「ベトナムはコロナ感染者が驚くほど少ない」って記事で書いた。ベトナムって 感染者数も少ないけど、死亡者に至っては一人もいないっていうんだからさらに驚く。 そんなこともあって、国によってどのくらい感染者数や死亡者数に違いがあるのかグラフで 比較してみる気になった。どうせホレ、時間はあるし(笑)。 感染者数や死亡者数のデータは米国ジョンズ・ホプキンス大学が毎日更新するサイトの 5月24日現在のもの。対象国は日本以外にいわんやが恣意的に30か国選んでみたけど、 結果的にはやっぱアジアと欧州が多くなった。でもアフリカや南米の国も比較のために 入れてみた。まず人口100万人あたりの感染者数比較からいってみよう。 ![]() 出所:感染者数・死亡者数等は5月24日現在のジョンズ・ホプキンス大学公開データ 人口はWorld Population Prospects, 2019 Revisionによる(以下のグラフすべて同様) なな何と。31カ国ン中じゃシンガポールが一番多いんだ。これは意外。 人口600万人もないシンガポールで感染者が日本の倍近いとこうなっちゃうのか。 シンガポール以外は上位に欧米主要国がズラリ。逆に少ない方はアジアの国がズラリ。 エジプト、ナイジェリアとかのアフリカの国も少ないね。 次に「感染した人のうち、死ぬ人の割合」。これはパーセント。 ![]() うわー・・欧州は軒並み感染者の1割以上が死んどる。米国は感染者でも死者でも世界一だけど 感染者死亡率じゃ中国と大差ない。一方、人口100万人あたり感染者が多かったシンガポールは 0.1%と驚異の低さ。シンガポールの死者数って23人で、日本の808人に比べても驚くほど少ない。 「感染してもメッタに死なない」わけだよシンガポールでは。何でこんなに違うの? (ぜんぶ5月24日現在の数字ですからね) ことホドさように、感染者数の多い少ない、さらに感染したあと死ぬ率の高い低いには モノすごい差がある。結果的に人口100万人あたりのコロナ死亡者数を国別に比較すると・・ ![]() うーむ・・・なんという差。800人超のベルギーと0.8人のタイとじゃ1000倍(!)違う。 「コロナは人類すべての敵」って言うけど、こういうグラフ見ると、この敵は地域によって 手ごわさ加減がめちゃくちゃ違う、チョー不公平な敵だと言わざるを得ないよな。と同時に この地域差が偶然の産物とは思えないのも確か。 「欧米と違ってアジアはキスやハグの習慣がないから軽く済んだのだ」って言われるけど そのせいでこれだけの地域差が生じるとは信じ難いんだよなぁ。「政府の対策の差」や 「外出自粛に対するマジメ度の差」っていうのも同様で、ましてや「医療体制の差」なんて あり得んだろ。こう言っちゃナンだが、ミャンマーやナイジェリアの医療体制が欧州よりも はるかに充実してるなんて誰も考えない。 ではなぜこんなに地域差があるのか?シロウトなりにいろいろ想像することは可能だ。 「検査数が少ない(あるいは単に検査してない)から」説は日本が多少当てはまるのかも。 でも死者の数はそういうゴマカシが効かないという前提に立てばやっぱり地域差は依然大きい。 なお「アジア諸国が死者数をゴマカシてるから」といった陰謀説はここでは考慮しません。 地域差が生じた原因として、今のところ科学的根拠がありそうに思えるのは「赤ん坊の時の BCG接種が効いてるから」説だ。上のグラフのどこがBCG接種国で、どこがそうでないか 正確にはわからないけど、アジアに接種してる国が多いのは確からしい。ただ、もっと シンプルに「人種による差」ってないのかなぁ? 上のグラフを見て、「モンゴロイド(黄色人種)には有利で、コーカソイド(白人)には 不利なナニカがあるのでは?」という疑問を抱かずにいる方が難しい。おそらく世界中の 専門家も感じてるはずだけど、「人種差別」と批判されそうなんで言わないのか? 黄色人種はアルコールに弱い(正確にいうとアルデヒド脱水素酵素2の活性が白人・黒人と 差がある)とか、血液型の比率が人種間でかなり違うとか、実際そういう体質的な差が 歴然とあるわけじゃん?そういう研究は人種差別でもナンでもない。科学だ。なぜコロナの 感染や死亡にこれだけ人種的(民族的?)差があるのか、ぜひ科学的に検証してほしい。 地域的不公平を生んだ理由として、いわんやが個人的に捨てがたい仮説がひとつある。 それは結局のところ「暑いと有利」という単純な理由だ。東南アジアには4月頃が一年で最も 暑いっていう国が少なくない。タイやラオス、ミャンマーなんかはまさにそうで、これらの 国々が4月の仏教正月にやる水かけ祭りも、宗教的理由以外に「一番暑い時期に水かけてあって キャーキャー騒ぐ」って部分も大きい(コロナがなきゃ4月に行くはずだったのに・・)。 そういう国で軒並み感染者数が少ないのを見ると、「暑いと有利なのでは?」という可能性を 捨てきれないんだよなぁ・・人口が約2億人もいて衛生状態だって優れてるとはあまり思えない ナイジェリアも(赤道に近い国だ)感染者・死亡者とも少ないし、上のグラフに入れてないけど いわんやが去年行ったラオスなんて感染者数がタッタ19人、死亡者数はベトナム同様ゼロ。 「暑い国は有利」って可能性を排除するのは難しいと思うんだよ。 ま、もちろんこれらはすべてシロウトの考えること。 しかしコロナという災厄の度合いが地域的におっそろしく不公平なのは確かで、そこには何か 傾向がありそうだというのも否定できない。この不公平が何に起因するのか、今後の科学的な 研究にぜひ期待したいのである。 珍しく時事ネタを取り上げたいわんやブログ。緊急事態宣言は全面解除されたとはいえ、 国内旅行すら気楽に行けるようになるのはもっと先。去年のラオス・タイネタを温存しつつ 書いていくために、旅ブログの書き手としてもいろいろ気ィ使ってるんスよ(笑)。 #
by tohoiwanya2
| 2020-05-26 00:01
| 海外あれこれ
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2020年 05月 24日
黒歴史から一転、再び家にいよう。せめて散歩に出かけようシリーズ。 サイクリング&お墓参り&ブログネタ発掘を兼ねて、また多磨霊園に行った。 義父&義母のお墓詣りを済ませ、さて、今日は誰のお墓を見学しようか? 霊園案内図の裏には著名人のお墓があいうえお順で書かれてて、一番最初「あ」の箇所を 見ると、二行目に「お?」と思う人の名前があった。それは浅沼稲次郎だ。 ![]() 浅沼稲次郎は昔の社会党書記長で、1960年、いわんやが1歳の時に亡くなってるからむろん ご当人のことは全然知らない。なのに浅沼稲次郎のお墓があると知ると見学したくなるのは 沢木耕太郎の名著「テロルの決算」を読んでるからに他ならない。 浅沼は政治家としても人望のある人だったけど、最後の暗殺事件が一番有名になってしまった。 総選挙を控えた日比谷公会堂の3党首立会演説会だから多くの聴衆の目の前だったのに加え TV中継までされてた。そこで殺されたわけだから日本の政治史においてはもちろんだけど、 報道史という観点からも歴史的大事件だったのだ。 下の写真も日本報道史に残る。日本人が撮った報道写真で初めてピューリッツァー賞を受賞。 沢木耕太郎は「まるで舞台写真のように鮮明に・・」って書いてたはずだけど、まったく その通りで、鮮明すぎる決定的瞬間。 ![]() 刺殺事件からしばらくたって、国会で浅沼稲次郎の追悼演説があった。 演説者は政敵でもある自民党の池田勇人だけど、浅沼の友人が詠んだこんな一説を引用し、 党派を超えた感動を呼んだとされる。 沼は演説百姓よ よごれた服にボロカバン きょうは本所の公会堂 あすは京都の辻の寺 ![]() これらはぜーんぶ沢木耕太郎の名著「テロルの決算」で仕入れた知識ざます。 何しろいわんやは事件当時1歳。何も知らない(笑)。浅沼稲次郎のお墓は大変立派だけど テロで殺されるなんて、ご本人にとっても遺族にとっても無念そのものだっただろう。せっかくだ。もう一つお墓を見学しよう。 日本人として二人目のノーベル賞学者・朝永振一郎の墓があるっていうから行ってみた。 ![]() たぶんこの辺・・え?仁科芳雄??・・・この人は日本の素粒子物理学の草分け的大学者で 朝永振一郎や湯川秀樹の「師匠」にあたる存在のはずだ。ってことは朝永振一郎の墓は、この 師匠の墓の近くにあるわけ? ![]() しかしあたりを探しても「朝永家之墓」はないよ?このあたりのはず・・という場所に あるのは朝永の師匠格にあたる先生の墓だけ。んーー??どうなってんだ? あ・・・。仁科芳雄の墓所内にもう一つ、こんな石が。 「朝永振一郎 師とともに眠る」って書いてある。ってことぁナニかい?朝永振一郎は 師匠の仁科芳雄のお墓に“同居”する形でお墓作ったわけ? ![]() ウチに帰って調べてみたら、朝永振一郎の正式なお墓は京都にあるそうで、仁科芳雄と一緒に 眠るために分骨したんだって。朝永はカゲで仁科のことを「親父」なんて呼んでたそうで、 師匠として本当に慕ってたんだねぇ。 ![]() いわんやは文学部出身で理系に関しちゃ完全白痴なんだけど、なぜか物理学の歴史に 関してだけはけっこう本を読んでて少しだけ詳しい。だもんで「仁科芳雄」って名前を見て 「あれ?」と思ったんだけど、結果的に仁科と朝永という二人の偉大な物理学者の 師弟の絆を知る、貴重な機会になったのでした。 (本日使用した、いわんや撮影写真以外の人物画像はWikipediaのもの。浅沼刺殺画像は そこらじゅうにあるからオオモトは不明です) #
by tohoiwanya2
| 2020-05-24 00:04
| さんぽ 2020
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2020年 05月 22日
再び黒歴史シリーズ。 辞めた。短い在職期間だけど、それでも同期で入ったもう一人よりは長持ちしたのだ(笑)。 辞めたのが1984年の夏、25の時だったはず。 その前年、1983年の秋にいわんやは親元を出て一人暮らしを始めたていた。 前回書いたお見合い後に引っ越ししたわけで、転居先は西武池袋線の江古田駅から 徒歩10分、家賃3.7万円、風呂なしの安アパート(トイレはあった)。 ![]() 独立してアパート暮らし。親元にいる時よりお金が必要になるのにいわんやは会社を辞めた。 ではそのあとどこに転職したのか? 恐ろしいことにどこにも転職しなかったの。 会社勤めせず、フリーで、一人だけで仕事してたんですねー。恐ろしいですねー。どうやって 「食ってた」かというと、まぁある種の絵を描く仕事をしてたんだと思ってほしい。 絵を描く仕事で名を成して有名になってリッチになって・・なんて見通しはもちろん皆無。 別の会社に就職してれば経済的にはまだマシな生活を送れただろうけど、その時はとにかく 「フリーで一人暮らし」ってのをしてみたかったんだよ(笑)。この当時からいわんやは 「しなかったことを後悔するより、してしまったことを後悔する方がナンボかマシ」という 乱暴な信条をすでに持ってたようだ。 絵を描く仕事でわずかな原稿料をかせぐ目星はついていた。それならやっちゃえ!やっちゃえ! 「フリー一人暮らし」のチャンスは今だ。たとえそれが貧乏なものになろうと、自分が老人に なった時に「ああアレやっといてよかった」と思うはず・・そう考えた。まぁ確かにあれは 本当に気楽で、自由で、貧乏で、でも「やっといてよかった」日々だったと思うよ。 1984年7月に会社を辞めた以上、翌1985年は丸々1年、絵を描く仕事だけで「食った」 わけだけど、その年の年収は翌86年に確定申告したからよく覚えてる。税引き前177万円。 原稿料は1割源泉徴収されるから、実際の“手取り”は約160万円だったことになる。 ![]() 上に書いたように家賃は3.7万円。12ヶ月で44.4万円だ(滞納なんてしてないぜ)。 160万ー44.4万=115.6万円。12か月をほぼ「月10万円弱」で過ごしたわけだけど、 家賃以外に自由になるおカネが月10万円あれば、一人なら食うには困らないよ。 まぁほとんど「食うだけ」の生活ではあったけどさ。 時は1980年代後半。日本がバブル景気に沸いてる頃で、同年代の若者の多くはバブリーに 「今日はマハラジャ、明日はスキー」みたいな日々を送ってた・・らしいけど、当然ながら 江古田での暮らしはバブルと無縁の貧乏生活。だからいわんやはバブル華やかなりし頃に 遊びたい盛りの独身20代を過ごしたにも関わらず、バブルを体験してないの(笑)。![]() こんなイイカゲンでジダラックな20代を過ごしたいわんやだから、いま若い人にエラそうに 何か言う資格なんてないけど、自信をもって言えることが一つだけある。それは・・ 「人生は20代で決まる」なんてことはない、ということだ。 “啓発モノ”の本にそんな題名のものがあるみたいだけど、そんなことないって。 人生が20代で決まるなら、23で卒業してまずブラック企業、次に怪しいフリーランスという 救いがたい20代を過ごしたいわんやのその後の人生はボロボロ確定だったはずだ。まぁ これについては「実際ボロボロになったじゃん」という冷静なご意見もあるだろうが(笑)。 でもね、ジンセイ20代で決まったりするわけないって。 仮にいまアナタが苦しい20代を過ごしてるとしても、そのことで絶望することはない。 この先還暦すぎまで勝負は何十年も続く。その間には転機や分かれ道もたーくさんある。 「オレはもうダメだ」なんて20代で決めつけるべき理由は全然ないのだ。 ![]() この江古田時代は3年半くらい続き、その後いわんやは観念して再びサラリーマンに戻り、 つい先日まで中断なく働き続けた。その後2度転職した時もぜんぜん中断なく、昨日までA社に 出勤してたのが今日からB社に・・って感じだった。転職する時くらい、しばらく働くのを 中断して休みたいという気持ちは当然あったんだけどさ・・。 でも20代に江古田時代という「壮大な中断」を経験したんだから、しゃあねぇって感じで アキラメはついた。定年のあと1年3か月勤務延長したのだって、江古田で過ごしたあの 自由すぎる3年半の罪滅ぼしと思えば、まぁしゃあねぇ。ほら、すごいでしょ? 風呂なしアパート、貧乏、万年床・・・ジダラックを絵に描いたような“あの頃”が その後の労働モチベーションに、ちゃんとなってるんだよ(笑)。 (本日使用の画像はぜんぶ2012年インド出張の時のものざます) #
by tohoiwanya2
| 2020-05-22 00:10
| むかし話
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2020年 05月 20日
黒歴史が続くのかと思うとまたハナシは変わる。 タイ国際航空が会社更生申請ってニュースを読んでちょっと驚いたわけ。何度も 乗ったことある航空会社だしねぇ。日本便はもうずっと運休してたようだ。 ![]() 世界の観光業従業者数が莫大なのも間違いない。まぁ航空産業を観光業に含めるかどうかは 微妙だが(たぶん含めない)、その世界最大の産業もコロナっち騒ぎで今やガタガタ。 最近、ある航空会社と、あるホテル予約サイトからいわんやにメールが来た。一種の販促メール。 今の状況じゃ販促もヘチマもないだろうと思うけど、見てみると業種によって置かれた状況の 違いが推測できて興味深い。まず航空会社の方からご紹介しよう。ベトナムの格安航空会社 Viet Jet=ベトジェットだ。 2013年にベトジェットに乗った時のことは以前の記事に書いた。この会社はその後バキバキと 成長し、今や成田とハノイ・サイゴンを結ぶ定期直行便もある。いわんやも4月の休暇消化旅行じゃ ベトジェットでベトナム行こうかと当初検討したくらい。何しろハノイ往復が3万円台。ド安い。 そんなベトジェットからこの時期に届いた販促メールとは? ![]() ベトナム語だからよくわかんないけど、たぶん899.9万ドン払えば9月末まで、1,699.9万ドン 払えば来年3月末までベトジェット国内線乗り放題・・というキャンペーンじゃないか? すさまじい金額に思えるけど、そこは巨大数の国ベトナム。日本円にすればそれぞれ約4万円強と 8万円弱ってレベル。ベトナムってコロナ感染者数がまだ300人台と驚くほど少ないから国内移動は それほど強烈に制限してないのかもしれない。8万円弱で1年近く国内線乗り放題ならお得だ。 ![]() しかし一方で「ベトジェットもかなり苦しいんだな」と思っちゃうんだよねぇ。 これって要するに「需要先食い」型キャンペーンじゃん?とにかく会社運営のために今すぐ キャッシュが必要だっていう台所事情が感じられる。勢いにモノをいわせて急拡大してきた 格安航空会社にすれば、突然の「コロナ氷河期」は大打撃だろうからなぁ。 もう一つのメールはいわんやが長年愛用しているホテル予約サイトBooking.comから。 この状況じゃホテル予約需要も激減だろうから、閑古鳥が鳴いてるのは間違いないが・・。 ![]() ひー・・・なんか泣かせるねぇ。 「コロナが終息したらまた旅行してね、ウチでホテル予約してネ」という思いがこもってる。 でも上で見たベトジェットみたいに需要先食いしてでもとにかくおカネが必要なんです的な 切迫感はさほど感じられない。 こういうところ、施設や機材を実際に保有してる企業と、ネットビジネスとの差だろうなぁ。 ガンガン操業して回収する前提でホテル建てたり機体購入したり、初期投資したのに、それを ただ「遊ばせとく」しかないんじゃ苦しいべさ。そういう負担を抱える航空会社に比べりゃ skyscannerみたいなネット予約サービス業がずっと身軽なのは間違いない。 ![]() しかし観光ネットサービス業も、ホテルや民泊施設、航空産業なんかにいわば“寄生”する立場。 これまではうまく共存共栄できてたけど、コロナ氷河期が延々続いて“宿主”がバタバタ倒れたら 関連ネットサービス産業だって共倒れだ。こういうタトエもどうかと思うが。 でも待つしかない。さもなきゃベトジェットみたいに需要を先食いするしかない。設備型産業は 「テイクアウト始めました」ってわけにいかないからね。この氷河期が長引けばこの先もさらに 観光関連産業の倒産だ、会社更生だってニュースが続く可能性は高い。 あちこちの国の入国制限がなくなれば、いわんやもまたベトジェットやタイ国際航空に乗って 東南アジアに行きたいと思ってるよ。その時はこれまで通りBooking.comでホテルを探して 予約するよ。だからさ、それまで頑張ってくれ。 #
by tohoiwanya2
| 2020-05-20 00:06
| 海外あれこれ
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